ソウル日本文化センター 小島 寛之
国際交流基金の業務最前線の海外事務所。その海外事務所で、所長とは一体どんな仕事をしているのでしょうか? 2012年10月半ばに、韓国に赴任した国際交流基金ソウル日本文化センターの新所長が、お教えします。
日韓の共通課題としての「ひきこもり」「ニート」
11月7日(水) 事務所にて
横浜に本部を置き、困難を抱えた若者の就労支援活動などを展開している社会的企業、K2インターナショナルの岩本真実さんと山本正登さんが、事務所に来訪。K2インターナショナルは、11月中旬からソウル市内に拠点を設け、韓国でも活動を開始することになった。
山本さんは、国際交流基金が2008年3月に実施した「日韓青少年問題NPO団体交流事業」の参加者だ。この「交流事業」は、日韓に共通する社会的課題に取り組んでいる両国のNPOの結びつきと協力関係を強めることを目的としていた。
当時、山本さんは、日本で就労支援に関わる他のNPOの代表者5名とともにソウルを訪れ、日本の取り組みを韓国に紹介するとともに、失業克服国民財団やハジャセンターなど韓国で若者就労支援を行う団体を訪問して交流を深めた。韓国との関わりはそれが初めてだった。これが縁で、その後、韓国から多くの関係者が日本のK2インターナショナルを訪れ、交流が続いた。
それから4年余りが経ち、K2インターナショナルは韓国への本格的な進出を決めた。ひきこもりなどの問題を持つ日本の若者を韓国に招き、韓国のNPOと連携して、若者たちに共同作業の場を提供し、自立を促すプログラムを行うそうだ。ひきこもりやニート(若年無業者)は韓国でも問題になってきている。将来的には、逆に韓国の若者を日本に送るプログラムや日韓の若者問題を議論するフォーラムも行いたいと山本さんは夢を膨らませる。ちょっと考えると、言葉も文化も違う外国で暮らすというのは、日本国内での生活よりもよっぽどハードルが高いような気がするが、山本さんは、「いや。かえって誰も知る人のいない海外での生活は、気分を一新するという意味で、とてもよい刺激になります。特に、韓国には活気があるので、日本の若者が元気をもらうケースが多いようです。」と笑う。不思議なものだ。
国際交流基金プログラムがつなぐ韓国NPO人脈
11月14日(水) 全羅北道・完州へ出張
国際交流基金が助成した「日韓コミュニティビジネスフォーラム−持続可能な農村、エネルギーの自立は可能だ−」に出席するために、全羅北道の完州(ワンジュ)に出張。
ビビンバ(韓国風混ぜご飯)で有名な全州(チョンジュ)までKTX(韓国高速鉄道)で約2時間。そこから完州の会場まで車で30分ほどだった。しゃれたデザインの完州コミュニティビジネスセンターのレストランで、豆腐やナツメなど地元の特産物を使った体に優しい夕食を取りながら、今回の事業のバックアップをしている完州郡の郡守(郡の首長)の林呈燁(イム・ジョンヨプ)さんとお話をした。
林郡守は、全羅北道の道議員などを務めた後に、青瓦台(大統領官邸)に入って大統領秘書室政務局長となり、その後、2006年に故郷の完州郡の郡守選挙に当選した。ソウルへの一極集中が際立っている韓国において、地域の活性化なくしては、国の発展はないという信念を持ち、地元の完州郡で、新しい考え方を取り入れて、持続可能な農村政策を精力的に推進している。パワフルだが、親しみやすく魅力的な人物だ。完州は、今では成功例として国内外から視察団を受け入れるまでになった。
林郡守は、2007年、現在のソウル市長の朴元淳(パク・ウォンスン)氏がNPO希望製作所の常任理事であった頃に呼びかけた自治体首長の海外視察プログラムに参加して日本のコミュニティ・ビジネスの現場を見学し、地域活性化のためにコミュニティ・ビジネスを完州郡に導入することを決めたという。
それ以来、完州郡の公務員や住民リーダーを毎年50人から200人ほど日本に送り込んで湯布院(大分県)の村おこし事業などを視察させている上に、2008年から希望製作所と共同で日韓コミュニティビジネスフォーラムを開催しており、今回で4回目となる。
実は、朴元淳氏は、国際交流基金と国際文化会館が共同で実施しているアジア・リーダーシップ・フェロー・プログラム(ALFP)で2000年9月から11月まで日本に滞在した。その時に北海道から九州まで各地の市民団体を訪問し、日本の市民社会をつぶさに見て歩いた体験が、視察プログラムを企画するときに生きたのだろう。今回のフォーラムに参加した慶星大学の金海蒼(キム・ヘチャン)教授も完州コミュニティビジネスセンター教育チーム長の李英美(イ・ヨンミ)さんも以前の国際交流基金プログラムの参加者だ。基金の事業に関わった人たちが、時を経て繋がり、日韓の結びつきを強めるために活躍していることは嬉しい。
日本と韓国、それぞれの多文化共生政策
11月16日(金) ソウル市内で会食
聖公会大学教授の梁起豪(ヤン・ギホ)教授と浜松市役所のT職員と昼食。2012年10月25日、26日に浜松市で実施した「日韓欧多文化共生都市サミット2012浜松」の話を聞く。このサミットは、国際交流基金が、浜松市、欧州評議会、財団法人自治体国際化協会と共催したものだ。
日韓欧多文化共生都市サミット2012 浜松で、「東京宣言」を読み上げる浜松市長。右から4番目が、聖公会大学教授の梁起豪(ヤン・ギホ)教授
韓国には現在、総人口の約2.5%、およそ130万人の在留外国人がいるという。人口比では日本より多い。1990年代初頭から外国人労働者が流入し始めたのに加え、2000年代に入り、韓国人男性と結婚する外国人女性が増えた。外国人配偶者を持つ家庭を「多文化家庭」と呼び、韓国の女性家族部(「部」は日本の「省」に相当)が韓国語教育や教育相談など様々な支援を行っている。
日本では、外国人に対する社会政策は1990年代から浜松市や豊田市などの地方自治体がリードしてきた。一方、韓国は、2004年以降、中央政府が短期間で法律を整備し、中央主権的に実施してきたという経緯がある。日韓のやり方は、どちらも一長一短があり、それだからこそ相互の経験から得られるものがあるのだろう。
韓国の人々の高い日本語能力に触れて
11月23日(金) 釜山へ出張
ソウルで2回行った日本文化講座「ことばの力−落語、浪曲の世界−」が、今日は釜山に移動。会場となった釜慶(プギョン)大学のホールは満員となった。日本語を学んでいる人を対象に落語、民謡、浪曲を解説も含め全て日本語のみでやる。当初、日本の伝統話芸である落語と浪曲が韓国の人々、それも、若い人たちに理解してもらえるか、少々心配だった。
しかし、結果的には、ソウルでも釜山でも、来場したお客さんは、林家ひろ木さんの語り口に爆笑し、片倉京子さんの民謡の歌声に聞き惚れ、玉川太福さんの迫力ある声と独特の節回しの浪曲の世界に引き込まれた。狭い意味での日本語の勉強といったものを越え、会場は、芸を演じる者とそれを楽しむ観客の密度の濃い空間になった。日本の話芸の魅力とそれを味わうことができる韓国の人々の高い日本語能力を改めて感じる。
ソウルアートシネマから特別貢献賞
11月28日(水) ソウルアートシネマへ
ソウル・江南(カンナム)エリアは、高級住宅街で、おしゃれなブランドショップが立ち並ぶ。最近開通した地下鉄盆唐(プンダン)線の狎鴎亭(アックジョン)ロデオ駅を降りて歩くと、両側にきらびやかなカルティエ、フェラガモ、ルイ・ヴィトンなどのブランドの旗艦店が続く。その店の前にはお決まりのように高級外車が止まっている。この通りの裏手には芸能事務所が集中しており、最近「韓流スター通り」と名付けられた。芸術映画専門上映館であるソウルアートシネマの10周年記念パーティーは、協賛企業の一つであるグッチ・ソウルの5階ホールで行われた。薄暗いホール内にソファーが置かれ、映画監督、俳優、女優が三々五々集まって来る。芸術映画の上映は韓国でも経営的に難しいようだが、このパーティーを見ると、さまざまな映画人がソウルアートシネマを支えていることがわかる。ソウルアートシネマは設立10周年を記念して、これまで協力関係にあった韓国の映画人と外国の文化機関を表彰するということで、わが国際交流基金ソウル日本文化センターも特別貢献賞をいただいた。これまでソウルアートシネマでは、溝口健二、小津安二郎、大島渚、若松浩二など数多くの監督の日本映画祭を一緒に開催してきた。韓国の有名監督8名にはベストフレンズ賞が授与された。受賞者の一人、パク・チャヌク監督には、日本映画祭にも足を運んでいただいている。監督に挨拶に行くと、「高峰秀子は僕の女神。」と嬉しそうに話してくれた。
ソウルで勤務を始め、改めて日本と韓国の近さとつながりの深さを感じる。特に、日本と韓国が直面する社会的な課題は共通性が多く、市民同士の交流と学び合いの機運が高まり、国際交流基金としても積極的に支援を行っている。2012年12月中旬、日本と韓国でほぼ時を同じくして新しいリーダーを決める選挙が行われた。今年は政治レベルでまた新たな日韓関係構築への取り組みが始まる。
離任することになったソウル日本文化センター所長の本田修の離任挨拶と、後任としての筆者の着任を、日韓交流の関係者に案内するべく、ソウル市内のプレスクラブで10月中旬にレセプションを開催。鄭求宗(チョン・グジョン)韓日文化交流会議委員長や日本大使館の倉井高志公使をはじめとして、韓国、日本の関係者120名余りが来場され、多くの方にご挨拶をさせていただくことができた。日韓関係がいろいろと難しい問題を抱える中で、ソウルに赴任したことに身が引き締まる思いがする。