安倍オースタッド玲子(オスロ大学教授)
国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、夏目漱石没後100年を記念し「夏目漱石国際シンポジウム」(2016年12月8日~10日)を、フェリス女学院大学、朝日新聞社、岩波書店と共催しました。本シンポジウム第2部「世界は漱石をどう読んでいるか?」の登壇者のおひとり、安倍オースタッド玲子氏にシンポジウムの感想と発表内容について、ご寄稿いただきました。
漱石の没後100年の命日にあたる2016年12月9日をはさんで、3日間に渡り「夏目漱石国際シンポジウム」が横浜のフェリス女学院大学と有楽町マリオン・朝日ホールで開催された。日本の研究者が中心の第1部「漱石は世界をどう読んだか?」と、海外の研究者による第2部「世界は漱石をどう読んでいるか?」から成る2本立てである。これに先がけて前夜祭の小森陽一氏による基調講演「世界文学としての夏目漱石」では、明治維新後の激動を作家と共に生きた読者の記憶が呼び起こされる様子が、小説を読む過程に掛け合わせて解りやすく説明され、『文学論』の実践とも言えるようなテキスト分析の披露があり、幕開けとなった。
満員となった会場(フェリス女学院大学)
翌日の第1部は主に英文学、西欧文学、中国文学との比較から漱石を考えるというもの。英文学の風刺の伝統と『草枕』の関連、所蔵していた同時代の西欧の文豪作品への書き込みから伺える漱石の批判的な西欧文学観、また漱石にとって「漢詩」は今はなき過去を示唆するものであるが故に愛着とこだわりがあったことなど、興味深い発表があった。特にモーパッサンの『ネックレス』のあまりにもすっきり「片付きすぎた」終わり方が落語の「落ち」のようで、つまらないという漱石のコメントが、『道草』に登場する健三の言葉「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない」を思い起こさせ印象に残った。続いての発表「孫が読む漱石」では、夏目房之介氏が漫画や家族に伝わる楽屋裏の話を通して、知られざる漱石の一面をのぞかせたが、NHKの連続ドラマ『夏目漱石の妻』を見たばかりだったこともあって至極納得がいった。最後の発表「女性が読む漱石」は、近代的な家族イデオロギーの文脈の中で、苦悩する男性主人公たちが戸惑いながらも「良夫賢父」になるべくいかに努力をしていたか、という考察が新鮮であった。
私は東京育ちだが、ノルウェーのオスロ大学で職を得てかれこれ20年になり、漱石について英語で博士論文を書いたこともあって、第2部の「世界は漱石をどう読んでいるか?」の海外研究者による《翻訳者シンポジウム》に参加した。裏切りとしての翻訳、言葉の響き、音感まで含む翻訳の奥深さ、植民地支配を受けた韓国の複雑な漱石受容、『我輩は猫である』の19種類の中国語訳などそれぞれ発表があった。私は、漱石が『明暗』で試みたと思われる「3人称過去形」の文体実験が読者の「日本語の文」に関する思い入れ如何により、肯定的、あるいは否定的に受け止められたり、また英訳で読む読者にはそれが見えなくなってしまう様子に言及しながら、読者にどのように違って受容されてきたかについて話した。
また、「漱石とわたし」という題目の漱石国際エッセーコンテストの表彰式が同じ会場であった。式の後、漱石アンドロイドが公開され、孫の夏目房之介氏の声で『夢十夜』にひっかけて「百年待っていただいて、ありがとうございます」という言葉が流れ、あたかも漱石と対面できたかのような錯覚を覚えた。漱石のデス・マスクを元に作ったというその顔は、私たちが古い千円札などで慣れ親しんだあの漱石の顔には違いないのだが、じっとこちらを見つめる眼の動きや表情の感じ、微妙な手の動きから作家のリアルな生気を感じさせる不気味な蘇生であった。
ところでフェリス女学院大学も有楽町マリオン・朝日ホールも、会場に着いてまずその観客の人数にびっくりした。3日間で1500名を越える参加者があったそうだが、およそ学生にはみえない一般の人達で大きな会場を埋め尽くせる日本での「漱石」の存在感に、改めて圧倒される思いであった。と同時に、漱石が世界の一般読者と響き合う作家になるにはまだまだ時間が必要だということも実感した。漱石を裏切ることになっても漱石の翻訳は続けるべきであろう。李広志准教授が述べたように「百人が漱石を読めば、百匹の猫がいる」ということであり、それには何種類翻訳があっても多すぎるということはない。言い換えれば、まだまだ私たち研究者や翻訳者のがんばる余地があるということでもある。最後になったが、漱石研究を通して、新しい知己を得たこと、また以前からの友人とも親交を温めることのできたことが大変嬉しく、ここ何年もの間、舞台裏でこの企画を計画し進められてきたフェリス女学院大学の佐藤裕子教授と同僚諸氏、スタッフの方々に深い感謝の気持ちをささげたい。
安倍オースタッド玲子
ウィスコンシン大学で修士、オスロ大学で博士号取得後、オスロ大学教授。専攻は日本近代文学。漱石についての著書は『Rereading Sôseki』(1998、2016年)、「心を撹乱する情動」(『文学』(2014年11-12月号)などがある。アラン・タンズマンとJ.キース・ヴィンセントと共に日本語版と英語版の漱石論集を編集中。