国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、日本の現実社会の諸問題に関心を持つ東南アジア各国の若手知識人をグループで招へいし、これらの問題に対するアジアにおける共同・協働の取り組みに向けた、専門家間の交流促進・深化とネットワーク構築・強化を目的とした訪日研修を実施しました。 本年度は「地方の活性化と新たな価値創造」のテーマのもと、過疎化、人口急減・超高齢化などの現代日本の地方社会が抱える課題や、それに付随する現代日本の姿を総合的に紹介しながら、これらの課題に対する日本政府、地方自治体、民間団体、個人の取り組みを通じ現代日本社会への理解を深めることを目指しました。
本プログラムに参加したタン・ツエ・ハン氏、ダン・ティ・ヴェト・フォン氏に、プログラムに参加しての感想と今回の訪日研修の経験を今後の取組みにどのように生かしていきたいかを寄稿いただきました。
日本で学んだ教訓
タン・ツエ・ハン(建築家)
10年ぶりの訪日で10人の仲間と過ごした10日間
2015年12月、私は国際交流基金の東南アジア若手知識人グループ招へいプログラムに参加する機会に恵まれました。ベトナム、タイ、フィリピン、インドネシア、マレーシア、シンガポールの代表10人とともに、東京、能登、金沢をまわる10日間の発見の旅に繰り出し、それぞれの場所を通じて日本の多様な姿に触れました。人口密集地の東京は絶え間ない喧騒に包まれ、日本海をのぞむ能登半島は地方の魅力に溢れていました。金沢は都会と田舎のちょうど中間にあたり、とても親しみやすい町でした。
私は、シンガポール国立大学在学中の2005年に一度だけ、日本を訪れたことがあります。その時の日本の印象は、時代を越えた気品を湛えた建造物や近代性・現代性の受容など、建築環境に着目したものでした。それから10年後に国際交流基金の招へいプログラムに参加し、衰退する地方都市という社会学的な観点から新たに日本を見ることができました。
持続可能性を重視する建築家・都市計画家として、私はこうした現象を生むインフラ面の課題を発見し、優れた地方再生計画を通じ、現状に歯止めをかける可能性を提案することに関心を持ちました。ASEANを代表する参加者―人口問題や日本文化の専門家―と活動を共にする中で、戦略の焦点が次第に明確になりました。特に素晴らしかったのは能登町です。能登半島の小さな田舎町ですが、昔ながらの街並みが残り、ファームステイ、何百年もの歴史を持つ輪島塗、日本でも指折りの海の幸、新たな産業として登場した能登ワインなど見どころが沢山あります。
共有型経済を通じた地方の活性化
人口減少と地方都市の衰退に対抗するため、私たちは、様々なプル要因の導入により地方を活性化できる戦略を考えました。具体的には、持続可能な雇用を生み出す日常生活に密着したニッチ産業の創出などです。能登町の既存産業を活かし、異業種間でリソースを共有するという発想を紹介しました。ある産業で出た廃棄物が別の産業の原材料になるかもしれません。こうした共有を実現するためには、適切なエコシステムの構築が必要です。つまり、持続可能な地方経済という壮大なビジョンに向けた小さな一歩として、持続可能な原料共有のエコシステムを導入できます。
これは、地方活性化に向けた4つの提案のひとつです。これ以外に他の参加者が、観光業と移民などのテーマを考察しました。実際、今回のプログラムは日本の数多くの名所や食べ物、印象に触れる素晴らしいオリエンテーションでした。日本と東南アジア諸国が今後協力を進める上で、理想的なプラットフォームです。
大きな問題解決のためのプラットフォーム
このプログラムを通じて得た日本での素晴らしい体験をもとに、私は今後も必ずシンガポール、東南アジア、そして日本との協力的なイニシアティブを継続していきます。シンガポールも、日本と同じような社会問題・環境問題に直面しています。この問題解決に向け、共により良い未来を築くため更なる議論の場に参加したいです。
タン・ツエ・ハン
シンガポールの建築家。現在、スラバナジュロンで持続可能な都市ソリューション部長を務める。シンガポール建築家協会評議会の協会推進担当部長も務める。文化的・経済的な持続可能性を維持しつつ、国内外の持続可能な都市環境設計、エンジニアリング、都市デザインに携わる。2015年9月にBCA-SGBC環境に優しい若手建築家賞を受賞。2015年12月には2人のシンガポール代表の1人として、東京、能登、金沢への10日間の研修旅行を行う国際交流基金東南アジア若手知識人グループ招へいプログラムの参加者に選ばれた。
忘れられない人々の温かさ
ダン・ティ・ヴェト・フォン(ベトナム社会科学院社会学研究所、研究員)
2015年12月上旬の寒い日、東南アジア6カ国の若手知識人11人が、国際交流基金主催の研修旅行「地方の活性化と新たな価値創造」に参加するため東京に集まりました。誰もが故郷の家族のもとへ急ぐ時期に、母国を離れた赤の他人どうし、最初は集合するだけでも大変でした。
けれど能登半島を旅してみて、日本人への見方も互いに対する見方も180度変わりました。それまで私たちはマスコミの影響で、日本人は人柄より仕事で相手を判断するという固定観念に毒されていました。能登の農家が作ったベジュール合同会社や文芸館を訪れ、春蘭の里で農村生活を体験し、「能登半島のうちごはん」やオクルスカイで作った能登ワインを味わいました。足袋抜豪さん、星野正光さん、室谷加代子さん、森さやかさん、多田喜一郎さんといった地元の人々と話し合いました。こうした素晴らしい体験を通じて、ひとつの生き方として地方での暮らしを実感できました。ある若手農家は、幸せとは「誠実に精一杯頑張ること」だと言いました。この言葉は、能登の農業の理念を何よりも雄弁に語るものです。人間みな兄弟と考え仲良く暮らす能登の人々に触れて、私たちの緊張もほぐれ、地元の人と一緒に踊るほど打ち解けました。赤道近くに暮らす東南アジアの住人にとって、12月の日本の寒さは興味深い体験でしたが、人々の温かさはそれを上回るものでした。
会食イベント「能登のうちごはん」での交流
日本は、地方の人口減少という深刻な問題を抱えています。それは東南アジア諸国も同じです。ベトナムでは、地方の過疎化を促す農村から都市への人口流入も問題化しています。あまりに状況が深刻で、村には老人と子どもしかいないという地域もあります。国際交流基金主催の研修旅行を通じて、①同じような問題を抱えた日本の地方を視察し、②人口減少への対応について、他の東南アジア諸国の若手知識人と議論し学び、③幅広い交流、対話、出会い、将来的な人脈作りに参加する機会を得られました。様々な教訓に加えて、何よりも心に強く残ったのは、自然や周りの人々と今も調和して暮らす心温かな地方の人々の姿です。私にとっては、地方の人々そのものが、日本だけでなく、他の東南アジア諸国の人口減少を食い止める解決策に思えます。今回の研修で学んだ全てが、ベトナムの新たな地方社会の発展に寄与する取り組みや政策提言を考案し、東南アジア全体の持続可能な発展に向けた私の職務を全うする上で刺激になりました。
ダン・ティ・ヴェト・フォン
ベトナム社会科学院社会学研究所の研究員。2015年、専修大学で社会学博士論文の学位審査を受ける。専門分野は、社会保障、市民社会、地方開発を含む開発研究。専門分野を扱った学術論文・書籍を単著および共著で発表。最新の出版物は『The Collective life- The Sociology of Voluntary Associations in North Vietnamese Rural Areas(集合的生活―北ベトナム農村部の自発的共同体の社会学)』。現在、ベトナムで新たな地方社会開発のための国家社会技術プログラムに積極的に参加し、エビデンスに基づく政策提言に取り組んでいる。