秦 剛(北京外国語大学北京日本学研究センター教授)
今夏、孫悟空を主人公とする新作アニメ映画が中国で話題になっている。中国の3Dアニメ『
図1 『西遊記之大聖帰来』の上映ポスター
「帰ってきた孫悟空」、中国アニメ復興の機運となるか
製作に8年間かかったと言われるこの作品は、五行山に500年間閉じ込められた孫悟空が、英雄としての自我を取り戻す物語であり、この話は、まるで中国アニメの栄枯盛衰の自己投影のようにも見える。中国本土のアニメ製作が、本当にこの一作で復興の機運を手に入れることができるだろうか。
この映画は「帰ってきた孫悟空」と題していながら、実質上、アニメの世界のこれまでになかったタイプの孫悟空の到来と見るべきだ。馬面の猿の顔に、革製の鎧を身に着けた長身。徹底的に無表情で、挫折感と反発心のみを強く抱いた、現代的なニヒリストの風貌。手にした如意金箍棒は、持ちにくいだろうと思わせるほど巨大である(図1)。従来のあらゆる孫悟空のビジュアル・イメージとも、まったく異なっている。話の筋も独創的なものだ。五行山に閉じ込められた孫悟空が、封印を解いてくれた無邪気な子供、幼年時代の三蔵に出会い、追ってきた妖怪と闘う話である。中年の悟空と7歳の三蔵がペアになるという奇想天外な設定で、原作『西遊記』からはもはや大幅に離脱している。
現代アニメ『大聖帰来』と中国初の長編アニメ『
孫悟空が登場した最初の中国アニメは、日中戦争の真っ最中に製作され、太平洋戦争勃発直前の1941年11月に公開された、
ただし、『大聖帰来』と70年前の『鉄扇公主』は、米国アニメを意識して作られた点で共通している。『大聖帰来』の監督である
図2 『鉄扇公主』の孫悟空
『鉄扇公主』から手塚マンガ、『大聖帰来』へ
万氏兄弟の『鉄扇公主』が手塚治虫の漫画、アニメ創作に影響を与えたことは広く知られている。アニメーターとしての手塚治虫の最初の仕事は、東映動画の『西遊記』(1960年)の原案として、漫画『ぼくの孫悟空』を長編アニメに改編することだった。また、その遺作となったNTV「24時間テレビ」のスペシャルアニメ『手塚治虫物語 ぼくは孫悟空』(1989年)においても、戦時中に『鉄扇公主』を観たときの感動や、中国で万籟鳴に会った場面などを再現している。手塚治虫の原案による『西遊記』は、孫悟空を主人公とするアニメ作品の流れを振り返るにあたって、重要な一作となる。孫悟空をやんちゃで純真なキャラクターにして、そのヒーローとしての成長物語を描いたところや、孫悟空の恋人まで登場させてロマンとギャグの要素を採り入れたことなど、いくつもの画期的な改編が行われたからである。手塚治虫は漫画やアニメの創作で、孫悟空の年齢を最大限に低齢化していた。その極端な例が、二頭身の姿で幼齢の孫悟空を描いた、虫プロダクションのTVアニメ『悟空の大冒険』(1967年)である。孫悟空を「可愛い」キャラクターに改造したのは、手塚治虫である。今日の『大聖帰来』に描かれた幼年の三蔵は、日本の「可愛い」文化の影響を受けた結果とも言える。
孫悟空再来への高まり
東映動画『西遊記』と同じく1960年代製作の、上海美術映画製作所出品の万籟鳴監督の『
図3 アニメ映画『大鬧天宮』の記念切手
『大聖帰来』におけるスーパー・ヒーロー
興行の面で大きな成功を収めた『大聖帰来』だが、スーパー・ヒーローを呼び戻す意気込みや、CG技術による映像の迫力のみが目立ち、ストーリーの構成には精緻さと厚みが明らかに欠けている。そして何よりも、米国SF映画にパターン化されたような、この世の生き物とは思えない、不気味で非理性的な妖怪の描き方に、違和感を感じる人もいるだろう。『西遊記』は様々な〈他者〉(妖怪)との遭遇を描いた物語である。そうした〈他者〉をどのように表現するのか。これは、スーパー・ヒーローとしての〈自我〉の描き方とは分かちがたい表裏一体の問題のはずだ。強烈な〈自我〉を描き得たとしても、〈他者〉を理解可能な対象として表現しえていない。これは、私から見たこの作品の問題点の一つである。
『大聖帰来』は中国アニメ史に名を残す大作になるのは確実だが、中国現代の流行文化の根本的な当惑や混迷まで露呈しているのではないだろうか。
秦剛(しん ごう)
中国長春市生まれ。北京外国語大学北京日本学研究センター教授、国際芥川龍之介学会理事。1999年に東京大学大学院博士課程修了、博士学位取得。専攻は日本近現代文学研究、中日比較文学研究、日本大衆文化研究。