楊 炳菁(北京外国語大学日本語学部准教授)
村上春樹の小説において、図書館は頻出する場所の一つである。デビュー作『風の歌を聴け』では、「僕」が付き合った三人目の女性は「大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生」であり、『1Q84』においても、主人公青豆が区立図書館に行って、資料を調べたことがある。さらに、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『海辺のカフカ』、『図書館奇譚』など、図書館を舞台にする小説もある。
村上春樹文学における図書館を考察すれば、おおむね二種類に分けられると思われる。資料を調べ、調査の目的で行く場所と、何かの象徴であり、重要な役割を果たすところである。村上春樹の図書館、特に後者をめぐって、日本の研究者たちが各角度から論じたことがある。例えば平野芳信氏は「君は暗い図書館の奥にひっそりと生きつづける」という文章で、次のように論じた。
(前略)それは電話という装置が離れた空間を繋ぐインターフェイスであったように、図書館という場(トポス)が過去と未来という時間を結合するインターフェイスだったからに他ならない。
(『国文学解釈と鑑賞別冊』2008年、p157-158)
「空間」の繋がり装置としての「電話」に対して、「時間」の「結合装置」と村上春樹の図書館を見ているのである。しかし、平野氏とする研究者にまとめられた特徴と、図書館本来の性格といったいどんな関連性があるのかについては解明されていない状態にあるといえよう。そもそも図書館というところは、他の場所には存在しない特徴を帯びており、これこそ村上春樹が図書館、特に何かの象徴としての図書館を登場させた根本的な理由であろう。
そこで、図書館本来の性格を手がかりとし、図書館の本質を究明した上で村上春樹の図書館、とりわけ『海辺のカフカ』に登場した「甲村記念図書館」(以下「甲村図書館」と略す)の深層的意味を分析してみたいと思う。
『海辺のカフカ』村上春樹著(新潮文庫刊)
記憶を保存する場としての図書館
人々の生活に欠かせない施設となった今日、図書館とはいったいどんなところなのか、つまり図書館の定義について、必ずしも統一されたものがあるとは言えない。しかし「図書館」は何らかの目的で、書物をはじめとする諸資料を集積し、保管する場所であることが確定でき、これはまさに「図書館」という語が示しているように、「図書」プラスそれを保管する場所である「館」からなるのである。
人類のコミュニケーションは、「声」、「文字」、「印刷」、「電子」という四段階で発展してきたとされ、その中において、「文字」の出現は最も重要な「事件」で、飛躍的なものだったとも言えるであろう。文字の出現によって、「情報は『記憶』から『記録』にする」ものとなり、記録された内容の増加によって、保管と整理が問題として浮き上がり、「図書館」の誕生につながるわけである。しかし、単なる行政的、経済的文書の収集だけでは「図書館」にはなれず、「心的活動を伴っている文書」(ライオネル・カッソン、『図書館の誕生』、2007年)、換言すれば「人類の知識・学問や思想を運ぶ媒体である図書」(小黒浩司編、『図書及び図書館史』、2000年)などの収集が始まってこそ図書館が誕生したといえるのである。
ところで、「心的活動」及び「心的活動を伴っている文書」とはいったいどんなものだろうか。私たちを取り囲む世界、それに自ら経験した出来事を記銘・保持し、さらに時には「想起」によって再生する。これはおそらく誰にでもある経験で、いわば「記憶」形成の諸段階である。人間として、最も重要な心的活動はこの記憶の形成であろう。ここで、肝心なのは、記銘・保持・再生の記憶形成の諸段階では、私たちを取り囲む世界や出来事のそのままの複写と再現ではなく、主体による取捨選択が必ず伴っていて、つまり、記憶形成という心的活動は複雑なもので、その底にはある共同体によって作られた価値観が潜んでいるのである。したがって、「心的活動を伴っている文書」とは共同体の外部世界への認識を反映し、言い換えれば一定の価値観に基づいて記録された「記憶」である。このような文書を保管する場としての図書館はある種の器のようであり、記録された「記憶」がそこに集まり、その根底には共同的価値観が流れているのである。
求められる場としての図書館
村上春樹が頻繁に図書館を登場させるのは、まず図書館本来の性格を利用したからと言えよう。共同的価値観によって記録された「記憶」の集積場なので、調査の目的で図書館に行けば、必要な書類の「ページを繰ればいいわけ」で、「それで全ては終わるはずだった」。しかし、問題なのは図書館本来の性格のほか、村上春樹はさらに深い意味を何かの象徴としての図書館に付与したように思え、このような図書館は図書館本来の性格とどんな関連性があるのだろうか。
象徴として登場させた図書館の中で、『海辺のカフカ』の甲村図書館はもっとも重要な一つであり、平野芳信氏は『海辺のカフカ』を「図書館をめぐる冒険」とさえ論じていたのである。『海辺のカフカ』において、甲村図書館が始めて登場したのは第5章で、カフカ少年はかつて『太陽』という雑誌で高松市郊外にある私立図書館の写真を見たことがあった。その図書館の名前は「甲村記念図書館」で、「旧家のお金持ちが自宅の書庫を改築してつくった」ものである。「珍しい蔵書もそろっているし、建物も庭も一見の価値がある」。写真を見たとき、カフカ少年は「不思議なほど強く心をひかれ」、そのためか、15歳の誕生日に家を出て、「ほとんど一直線に」甲村図書館にやってきたのである。
カフカ少年の目的地として登場した甲村図書館ではあるが、実は『海辺のカフカ』においては、甲村図書館を目的地とし、そこに向かって進み、あるいは最終的にそこに戻った人はカフカ少年に限らない。カフカ少年の物語と平行に展開されたのは記憶を失ったナカタさんがカフカ少年と同様、東京から西のほうに進み、結局高松市郊外にある甲村図書館の門前にたどりついた。また、かつて甲村家の長男の恋人であった佐伯さんも故郷の町から消えた25年後に突然高松に戻り、「甲村図書館の管理責任者をつとめるようになった」のである。
カフカ少年、ナカタさん、佐伯さん、この三人はともに小説の主要人物であり、そしていずれも甲村図書館を自分の目的地としているのである。それゆえ、甲村図書館は単なる「主要人物の集合する場」というだけでなく、カフカ少年とナカタさんの求めるものが潜んでいるところであり、佐伯さんにとっても極めて重要な意味がある場所なのである。
人生のブラックボックスとしての図書館
「世界はメタファーだ、田村カフカくん」大島さんは僕の耳もとで言う。「でもね、僕にとっても君にとっても、この図書館だけはなんのメタファーでもない。この図書館はどこまで行っても――この図書館だ。僕と君のあいだで、それだけははっきりしておきたい。」
「もちろん」と僕は言う。
「とてもソリッドで、個別的で、とくべつな図書館だ。ほかのどんなものにも代用できない。」(下p425)
『海辺のカフカ』の最後に出た大島さんとカフカ少年の対話であるが、これこそ甲村図書館の秘密を教えてくれているのではないか。先に結論を出したいが、甲村図書館はあらゆる人生を記録したブラックボックスのようなもので、カフカ少年とナカタさん、管理責任者である佐伯さんと管理職の大島さん、それぞれの人の記憶を保存する場所で、そこに向かって求めたら、自分の人生の記録しか出会えない、すなわち自分の記憶しか保存されていないがゆえに、「なんのメタファーでもない」、「とてもソリッドで、個別的で、とくべつな図書館」なのである。
上述したように、カフカ少年とナカタさんにとって、甲村図書館には彼らの求めるものが存在し、佐伯さんにとっても、甲村図書館は極めて重要な存在である。この三人のうち、特に佐伯さんのことに注目してもらいたい。帰郷した彼女が甲村図書館の管理責任者になり、毎日図書館の二階の書斎で原稿を書き続けた。若き佐伯さんと恋人の二人の楽園であった甲村図書館には、彼女の思春期の思い出があり、最も貴重な記憶が保存されていたに違いない。そして、佐伯さんが甲村図書館に戻ってこそ、自分の記憶を「記録」にすることができるだろう。そういう意味から言えば、甲村図書館と佐伯さんとは、切っても切れない関係にあり、彼女は甲村図書館の「内容」のようなもので、カフカ少年とナカタさん二人にとってのキーパーソン的な存在とも言える。
実はナカタさんとカフカ少年はまさに佐伯さんを通して、形が違った記憶を獲得し、人生の最期(ナカタさんの場合)、または人生の未来(カフカ少年の場合)を迎えたのである。
図書館本来の性格は記録された記憶の保存地であるゆえに、『海辺のカフカ』に登場した甲村図書館は記憶を保存する場として働き、あらゆる人生を記録したブラックボックスのようなものにもなったわけである。これこそ村上春樹が甲村図書館に付与した深い意味ではないだろうか。
主要人物三人の記憶を保存した甲村図書館。実は三人の記憶を貫いて見れば、日本の戦前から2000年直後の歴史であり、さらに遡れば、甲村図書館の変遷も日本近代化そのものを反映しているのではないかと思う。個人の記憶と共同体の共同記憶、両者はいかに甲村図書館という特別な空間のなかで連動し、未来に向かって共振していくのか、今後の研究課題としたい。
(2013年6月1日に東京大学山上会館での東大中文村上春樹研究会特別講演会での発表をもとに改稿/原文:日本語)
(左)東大中文村上春樹研究会特別講演会の様子、(右)会場の質問に答える楊炳菁氏
写真提供:東大中文村上春樹研究会
謝辞:本稿の作成にあたり、共同研究のパートナーである、浙江外国語学院の関氷氷准教授からの貴重なアドバイスの心から感謝いたします。また、毎回丁寧に日本語の原稿に目を通してくださる北京外国語大学日本語学部の寺内伸介先生にも感謝の意を申し上げます。
楊 炳菁(よう・へいせい、YANG, Bingjing)
北京外国語大学日本語学部准教授。「村上春樹に至る戦後日本文学の系譜」の研究テーマにて、2012年10月より1年間、国際交流基金日本研究フェローとして来日中。