ニコラ・タジャン 心理学者
「現代日本における若者の大きな問題は何か。」これは2009年8月に私が初めて来日したときに抱いた疑問です。コンピュータやインターネット、テレビゲーム、携帯電話といった新しいテクノロジーに関連する問題があるにちがいない、という直感が私にはありました。しかし、精神科医や哲学者から、アスペルガー症候群(高機能自閉症)や発達障害が増加したことや「ひきこもり」(斉藤環 1998)の話を聞くとは思っていませんでした。とりわけ驚いたのは、日本の社会的引きこもりがこれほど大きな現象であるということです。しかし驚くと同時に、私は臨床現場で、学校に関する問題を抱えた子どもやティーンエージャーをカウンセリングしているかもしれないと気付きました。
フランスに戻ってから、私は同僚ら、つまり家庭医や精神科医、心理学者、精神分析学者、ソーシャル・ワーカーと「ひきこもり」について話し始めました。友人とも話をしました。誰からも「そういう人を知っている」と言われましたが、さらに話をしてみると彼らが知っている「そういう人」は、日本で言われている「ひきこもり」とは違うようでした(Kaneko, S, 2006;Amy Borovoy, 2008;Koyama, 2010)。「そういう人」は、両親と住んでいるか、あるいはアパートで独り暮らしをしているティーンエージャーや若年成人ではないでしょうか。フランスには、隠れているが、日本の「ひきこもり」と非常によく似て、社会から引きこもって暮らしている若者が実際にいるということは言えます。しかし、このように引きこもっている若者は、ひとつの集団として見ることができるフランスの「おたく」や「コスプレ」のような社会的トレンドではありません。それでは、日仏で何が違うのか、主な相違点をはっきりさせることにしましょう。
第1に、日本の「ひきこもり」に似た状態にあるフランス人は、引きこもるのをやめて社会に出てきたときに「元ひきこもり」として支援団体に集まることはありません。第2に、このように引きこもって暮らしている人たち専用のインターネット・フォーラムはフランスにはありません。第3に、社会から引きこもって暮らしている若者を扱ったドラマや漫画、アニメはありません。第4に、フランス的な「ひきこもり」状況は必ずしも「当事者」運動と関係がありません。第5に、日本の「ひきこもり」のような状況が本当にフランスに存在するとしても、フランスには「ひきこもり」のような言葉、つまり、日本語の「ひきこもり」という言葉に含まれるすべての意味を表す言葉はありません。
そこで、「ひきこもりは日本以外にも存在するのか」という疑問(Katoほか, 2011)は次のような疑問に変わります。フランスで社会から引きこもって暮らしているのはどのような若者なのか。社会から引きこもっているフランスの若者と日本の「ひきこもり」を比較することで何が分かるのか。こうした観点から考えるためには、日本とフランスで学際的な研究者チームをつくることが必要でした。現在、首都圏の社会科学者(堀口佐知子、清水克修、照山絢子)と名古屋大学の精神科医(鈴木國文、古橋忠晃、小川豊昭、津田均)とともにパリで年2回集まり、研究会とフィールドワークを実施しています。その最初の成果が2011年春に発表されましたが、そこでは引きこもって暮らしている人の臨床例9例(日本5例、フランス4例)を取り上げています(Figueiredoほか, 2011)。この後も日仏両国の研究者によって、「ひきこもり」に似た状態にあるフランス人の事例が少なくとも15例集められました。これらの事例の研究成果が「ひきこもり」のよりよい理解につながることを私たちは心から願っています。
結論として、次の2つのことが言えると思います。日本で言う「ひきこもり」のような状態で暮らしているフランスの若者を「社会的引きこもり(retirants sociaux)」と見なせるということ。そして、社会から引きこもっている若者について文化を超えた研究を行うなかで、このようなフランスの若者を日本の「ひきこもり」と比較できるということです。なぜなら、第1に引きこもって暮らしている若者を社会に戻すための方法を見出せるかもしれないから、第2にこうした若者やその家族に対する支援の質を高める必要があるからです。
■日本とフランスの「ひきこもり」について詳しくはこちら
http://www.wix.com/nicolastajan/1
ニコラ・タジャン(Nicolas TAJAN)
心理学者、心理学博士課程在籍
臨床心理学、メンタルヘルス、文化人類学、精神分析の最先端で研究を行う。タジャンの所属する研究チームはトゥールーズ第2大学「臨床心理学と異文化間研究所(Laboratory for Clinical & Intercultural Psychopathology)」とパリ・デカルト大学「医学・科学・健康・メンタルヘルス・社会研究センター (CERMES3)」にある。また、「現代日本における児童教育と社会 (EESJC)」チームを通じてフランス国立東洋語・東洋文化研究院、日本研究センター(CEJ-INALCO) にも参加している。国際交流基金の日本研究フェローとして現在、京都大学人文科学研究所で研究活動を行っている。