トゥーッカ・トイボネン Tuukka Toivonen
Ph.D. オックスフォード大学.
「長期的な支援につなげやすい学生の特性を最大限に引き出すため、学生にハードルの低いボランティア・プログラムを提供し、学生が現地に行く際のボトルネックとなる要因を取り除きました。これが僕らの作り出した新たな仕組みです。学生の持つ"若さ"という強みを被災地に届けることは、復興活動のためにはとても価値のあるものだと思うんです。」
船登惟希(ふなとよしあき)、就職ジャーナル(2011年12月9日)
これは、震災復興支援の学生ボランティアを東北地方に派遣する学生団体「Youth for 3.11」の代表者の言葉です。この短い引用には、津波と福島原発事故を経験した日本における若者の役割について大切なメッセージがいつくか隠されています。東北の復興に役立ちたいと願う若者が、社会構造による深刻な「ボトルネック」に直面してきたように、日本の若者全般も、苦境にあえぐ社会を改革しようとするときに大きな抵抗にぶつかります。従来型の政治からますます取り残されている(そして政治という言葉そのものを嫌っている)若者が、差し迫った社会のニーズや矛盾に対処するためには、新しいやり方を見つける必要が生じてきたのです。そうした新しいやり方のひとつが、津波の被災者・深刻な貧困にあえぐシングルマザー・ホームレスなど、様々な「ステークホルダー」に対して「価値」をもたらす新しい「モデル」を作り出すことです。船登さんはYouth for 3.11を立ち上げたメンバーの一人で、分かりやすい理科の学習参考書の著者でもありますが、船登さんの他にも大勢の若者がビジネスの手法を操ることにより目標を前進させている人々がいます。病児保育サービスを提供するNPO「フローレンス」の駒崎弘樹さんや、バングラデシュで製造した高級ハンドバッグを日本の消費者向けに販売し収益の一部を生産地(ステークホルダー)に還元している「マザーハウス」の山口絵理子さんなどは、船登さんよりもよく知られた存在です。
2011年3月11日の巨大津波で壊れた子供の遊び場の復旧を手伝う「Youth for 3.11」のボランティア
写真提供:Youth for 3.11
2012年1月12日、私はまさにこうした問題について報告をする機会をいただきました。「3.11大震災後の日本の若者」というテーマをめぐり、国際交流基金が東京六本木の国際文化会館で開催されたイベントにおいてプレゼンテーションしたのです <1>。私は震災支援団体「Youth for 3.11」への取材および参与観察中心のフィールドワーク(2011年7月、11月に実施)をもとに、次の3点を報告しました。(1) 日本の若者の大半は東北地方の非常事態に対してほとんど何もしていなかったこと。(2) 大学は、現地での学生のボランティア活動を奨励するどころか妨げていたこと。(3) 社会科学者やジャーナリストにとっては、2011年3月に地震・津波・原発事故という3つの大災害に同時に襲われた結果日本が変わるか変わらないかという疑問を呈するよりも、誰がどういう方法で日本を変えるのかという問題に重点を置いたほうが有益であったということ。参考として以下に挙げた研究の中で(1)と(2)についてある程度深く考察したので、ここでは(3)について重点的にお話しします。この問題は言い換えると、日本を地域レベル・国レベル・国際レベルで悩ませ続ける一連の「ボトルネック」に取り組むための発想やモチベーション、それにネットワークを持っているのは誰かという問題です。
<1>2011年と2012年に実施した社会起業家と社会革新に関するフィールド調査に対して、国際交流基金から多大なご支援をいただき、心より感謝しています。
この問題に正面から取り組む前に数行を割いて、1990年代と2000年代の日本のメディアで20代の若者がどのように論じられていたのか振り返ることにしましょう。面白いことに、この時代は2つの主流の立場によって特徴付けられます。一つ目は、若者は正しい労働倫理を有しておらず、本質的にモラルが低いという考え方(「今時の若者はけしからん」)です。とりわけパートで働く「フリーター」についての議論では、この論調が目立っていました。しかし、この「けしからん今時の若者」という考え方への反論が徐々に登場してきましたのです。その先鋒にいるのは玄田有史さんや本田由紀さんなどですが、彼らは実は若者は日本の「失われた20年間」のコストを過剰に引き受けされられてきた犠牲者なのだと論じています(若者世代は親の世代よりも雇用機会が失われており、非正規労働者となることで企業から搾取されているのは確かである)。このような反論があるにも関わらず、2011年までは前者の見方、つまり旧世代よりも倫理的に劣っているという若者像が、おおむね日本のメディアでは幅を利かせていました。後者の考え方を支持したのは主に、若者に同情する(若者に好意的な)官僚やコメンテーター、政策の専門家たちです。外国のメディアは、「パラサイト・シングル・ひきこもり.ニート」など世間で報じられている若者像をほぼそのまま無批判に受け入れる一方、後者の考え方に同調し、日本の若者をますます社会の周縁に追いやられている存在と見なしています。
半分「怠け者」のレッテルを貼られたり、社会の犠牲者と位置づけられたりしている日本の若者ですが、2011年3月11日に日本が恐ろしい悲劇にみまわれた後、こうした若者の位置づけは変わったのでしょうか。ある程度は「変わった」と言えます。東北地方へ出かけて復興支援に取り組む若者の姿がニュース番組で報道され、若者すべてに怠け者・受け身・内向き・情けないなどのレッテルを貼ることは難しくなりました。さらに言えば、国内メディアも外国メディアでも日本の復興では若者が中心的な役割を果たす「べき」だという新たな期待が生まれました。しかし、そうした期待はあっても、例えばボランティア活動に若者を幅広く参画させるためには多大なリソース(資源)や政策が必要ですが、そうしたリソースや政策が往々にして伴っていませんでした。若者は雇用に関する問題など、現在の日本が抱えるさまざまな「ボトルネック」と格闘していますが、ここでも状況は同じということです。例えば、環境的・社会的により持続可能なワーキング・スタイルを実現するために、ほとんど何の資源もあてがわれてきませんでした。
ですから、自らの社会を大改革する責任が再び若者自身に戻ってきたのです。しかし、若者全体を巻き込む新たな運動、あるいは運動とまでいかなくてもボランティア活動ラッシュは近い将来起こるのでしょうか。古市憲寿さんが最近の著作で述べているように日本の若者の大半は、幸せすぎる、あるいは満足しすぎていて、東京の中心部でまとまりのない単発デモを数回起こすといったような規模以上のアクションを起こすことはないのでしょうか。
自分たちの体験について話し合うYouth for 3.11のボランティア参加者(東京、市ヶ谷にて)。このような「リフレクション」はYouth for 3.11のプログラムに欠かせない要素である。
写真提供:Youth for 3.11
前回の調査は日米の研究者達と一緒に行いましたが(Toivonen、Norasakkunkit、Uchida、2011年)その中で私たちは日本の若者が近い将来に劇的に変わる確率は極めて低いと結論づけました。心理学的な理由においても(いわゆる回避動機のほうが勝っていることなど)、歴史的文脈からも(何度も書かれているベンチャー企業家・堀江貴文の凋落や、昔の学生運動の徹底的な排除など)、日本の若者が政府や大手企業のような社会の主流組織と対立して抗議運動を次々と起こそうとする可能性は極めて低いと言えます。若者は抗議運動を起こして正面衝突するよりは、比較的静かに巧妙な戦略を立てて改革を目指す可能性のほうがはるかに大きいということが分かったのです。
労働市場や心理学のデータ、および個別事例にもとづくこの実証的・理論的調査によって、私たちは日本人の若者のなかにひとつのサブグループの存在を確認しました。私たちはこのサブグループを「静かな変革者(quiet mavericks = qm)」と呼んでいます。このグループは社会で主流となっている規範やいわゆる「正しい」人生のコースから幾分はみ出したところに位置しますが、このグループに属する若者には以下のような特徴があります。
(1) 独自の考え方や社会的ビジョンをはっきり語る
(2) 独自の方法を用いる(例:ビジネスの手法を使って社会問題に取り組む)
(3) 現状に立ち向かうため、複雑な戦略を編み出す(例:高級品を販売して利益をあげる一方で、利益は富裕国の株主に分配せず貧しい職人に還元する)
(4) 世界に広まっている考え方を取り入れる(「社会的投資」など)
(5) 「日本的価値観」と「グローバルな価値観」を融合させる(相互依存と個人の選択など)
ところで、現時点では「qm」の定義を緩やかなものにしておく必要があります。「qm」がどのような戦略を使っているのか、その多くは未だによく分かっていません。また、こうした戦略は、推測により理論化して説明するのではなく、実例を用いて説明するのが1番です。実例で説明する際に使用することが可能である、社会学的な実証済み概念がいくつかあります。文化的資本(「qm」の場合、企業環境の中でビジネス業界における「ふさわしい話し方」を習得していることがその一例)、社会的資本といった概念が有用です。社会的資本という概念を考慮すると、調査対象の「qm」は、結果的に各々が孤立した全くの個人として動くようなことにはならず、かなりのネットワーク型人間になる傾向があると想定できます。彼らはチームで行動し、地方自治体や国、中小・大手企業、メディアその他関連団体など多様な機関とコラボレーションすることを望みます。したがって、例えば社会起業家の若手リーダーについて理解しようと思えば、個人の特徴だけでなく、彼らと強く結びついているグループや、もっと幅広く「革新のエコシステム」についても目を向けることが不可欠です。主流メディアはとにかく「ヒーロー」や感動的なストーリーを見つけ出したがるものですが、社会科学者の仕事は、社会変革や新たなライフスタイルを積極的に追い求める、qmタイプで割と個人主義的な若者が、どのように社会に「組み込まれている」のかを明らかにするところにあるのです。
「Youth for 3.11」の代表を務めるおしゃれでマルチな才能を持つ船登さんは、どの程度「qm」に当てはまるのでしょうか。私は、彼こそがまさに「qm」そのものと言えるように思います。ツイッターを機動力とする「Youth for 3.11」の運営に加えて、船登さんは米国の「エデュテインメント(エデュケーションとエンターテインメントの造語)」という考え方を最も熱心に日本に「導入」している一人です。日本国内に「エデュテインメント」のまともな実例がなかったため、船登さんは「自分でやる」ことにし、楽しく学習でき、なおかつ学習効果が上がる方法を独自に考案しました。しかし彼の友人たちは「Youth for 3.11」の代表になってからの船登さんは、「チーム・プレーヤー」としても成長したと言っています。船登さんはおそらく本当の意味での「犠牲者」ではないでしょう。今では第一線に立って日本の改革を引っ張っていくだけの実力者です。私たちは、船登さんの後に大勢の人々が続くこと、そして若者を見守る研究者、メディア等が(残念ながら若者を観察する人々はしばしば、1990年代から2000年代にかけて作り上げられ、未だ存するステレオタイプな若者像に立ち返ってしまうのですが)そうしたアクションを起こす若者達に目を向けることを願っています。
トイボネン トゥーッカ Tuukka Toivonen
ジュニア·リサーチ·フェロー、グリーン・テンプルトン·カレッジ、オックスフォード大学
オックスフォード大学を拠点にしながら若者、仕事、そしてモチベーションというテーマを中心に研究。 博士論文では日本の「若者自立支援政策」の誕生と実行を分析している。
http://oxford.academia.edu/TuukkaToivonen