カイロ大学日本語日本文学科 国際交流基金賞受賞記念エッセイ1 はこちら
「日本とエジプトの架け橋を築く カイロ大学日本語日本文学科」
ワリード・ファルーク・イブラヒム(Walid Farouk Ibrahim)
ピラミッドがくれた夢
サーレ・アーデレ アミン(Dr. Saleh Adel Amin)
生まれ育ったTahway村の畑にて水タバコを吸う筆者(左)
幼い頃抱いていた夢は、外交官になることだった。外交官になりたいと言っても、母はDoctor になりなさいと私に押し付けた。エジプトでは、長男が医者になることは自慢であり家族全員の夢である。僕が外交官になりたかったのは、生まれ育った村の境を超えて毎日眺めていたナイル川の向こう側に飛び出しカイロに行くことを意味していた。中学校3年生の夏休み中、自身の判断で誰にも知られず密かにカイロへ逃げ出し、やっとその夢を叶えられた。カイロに入った私は、1週間程度パン屋でアルバイトに明け暮れる毎日を送り、わずかな収入を得ることに成功した。そこであっという間に大都会の魅力に引き込まれ、将来何が何でもカイロに暮らしたいと強く感じるようになった。
その夢の第一歩は、高校の研修旅行だった。カイロスタジアムでエジプトが誇るアハリ対ザマレクのサッカー試合を観戦し、ピラミッドを見学した時のことであった。当時、今は禁止されている第一ピラミッドを外側から天辺まで登ることが出来て、私もトライした。体がくたくたに疲れてピラミッドの脇で休憩すると、岩波新書の1冊の本が目の前に置かれていた。何気なく手に飛び込んだこの本は、見たことのない文字からして中国語の本だと思い込んでいた。本を田舎に持ち帰り、ここから自分の人生が大きく変わった。外交官でも医者でもなく、中国語の勉強をすることが自分の未来だと信じて疑わなかった自分がいた。高校を卒業したら中国語学科のあるアインシャムス大学を希望して手続きを進め、カイロに留学していた中国人の数人の友達ができると「あの本は日本語だぞ」と言われてショックを受けた。慌しくカイロ大学にスイッチして、辛うじて日本語文学科に入学し、日本と初めて接点が出来たのである。
学生時代、上エジプトのDandara神殿で
日本語の勉強を始めてみると、まずぶつかった壁は怪物のように見えた「漢字」であった。覚えきれず途中日本語学科をやめようと考えたほどである。当時、国際交流基金から派遣された恩師でもある福原信義先生に「繰り返しやれば、ロバでも覚えられるよ」と言われて漢字に挑戦し、3年生になると1500字を暗記することに成功した。ここでやっとピラミッドがくれたあの1冊を読むことができた。当時、一橋大学の看板教授でもあった田中克彦先生が著した『ことばと国家』は、まさにこの本だったのだ。本の内容に圧倒され、瞬く間にその本にのめり込んでいき、それは現在の私の背負っている研究テーマにもなっている。
日本語学科で楽しい学生生活を送り、大勢の日本人の友達が出来たことは、今の私の日本との第一接点でもある。学生時代、テレビ朝日の取材で日本語学科を取材に訪れた女優樹木希林と彼女の娘に和食に招待され、是非日本へ遊びに来てくださいと言われたためそれを本音と鵜呑みにした私は本気で遊びに行く機会もあったが、実際行ってみると本人に相手にされなかった。これは私が初めて味わう日本人特有の「本音と建前」を実感した瞬間だった。卒業後テレビ朝日の勤務を経て、同時通訳などの仕事でお金を貯め私費で日本へ留学することになった。日本へ到着した私は広島から大阪へ飛び回り、「政治と言語」という自分の研究できる居場所を捜し求めた。広島大学大学院の試験に失敗、次の一橋大学を受験する前にあの田中克彦先生と面会したら、「俺の研究室よりも、言語と文化を専門とする慶応大学の鈴木孝夫研究室に行きなさい」更に「一橋大学で博士号を取るのは無理だ」と言われたが、「いや、私は田中先生のゼミに入れるように挑戦します」と先生に強く言い返した覚えがある。結局私は田中克彦研究室に入り、「エジプトの言語ナショナリズムと国語認識:日本との対比において」をテーマに博士号を取得するに至った。博士号を取得したことで、医者という母の夢を叶えられなかったが、一応エジプトではDoctorと呼ばれる運びとなった。田舎に戻ってもカイロにいても、エジプトの習慣だがみんなに「Doctorアーデル」と呼ばれるようになった。今思えば、ピラミッドが授けた使命とも言えるかもしれない。
サーレ・アーデレ アミン(Dr. Saleh Adel Amin)
1988年母校カイロ大学日本語科を卒業してから1990年~来日。一橋大学社会学研究科大学院コースを経て1999年7月社会博士号を取得。 テレビ朝日・中東特派員、外務省研修所非常勤講師、一橋大学助教、大阪大学外国語学部客員教授などを経て現在カイロ大学日本語学科にて準教授として勤務。著書『エジプトの言語ナショナリズムと国語認:日本との対比において』、『日本の実験演劇は伝統と近代化との狭間で』、『日本の現代演劇』の他、古典『方丈記』などのアラビア語への初直訳、「国語改革」を中心に多数の論文有り。
カイロ大学文学部日本語日本文学科
(Department of Japanese and Japanese Literature, Faculty of Arts, Cairo University)
http://www.jpf.go.jp/j/about/award/index.html
1974年学科設立。中東・アフリカ地域で最初に発足した日本語・日本研究分野の重要拠点であり、長年にわたり日本語・日本文化研究者の育成及び日本語の普及を行っている。文学から政治に至るまで、同学科の卒業生によって数多くの日本に関する書籍・翻訳書が出版され、アラビア語圏における円滑かつ効果的な日本文化理解に大きく貢献し続けているほか、高度な日本語能力を駆使して世界各地で活躍する卒業生を多数輩出している。
2011年、国際交流基金賞 日本語部門を受賞。
カラム・ハリール(学科長)講演会
http://www.jpf.go.jp/j/about/award/11/index.html#02
「エジプトの日本語教育とカイロ大学の歩み」当日配布資料(PDF)