003 ビールを通して見える日本の歴史

ハラルド・フース
ハイデルベルグ大学

ビールを通して見える日本の歴史

私が1980年代の終わりに大学に入学した頃、連日のように紙面の一面記事を賑わせていたのは経済的にも政治的にも超大国として華々しく繁栄を謳歌していた日本に関する記事で、私が学んでいた日本語の課程にもビジネスを専攻する学生やエンジニアたちが数多く参加していたのを思い出す。

私が幼少時代から惹かれていたのは古代から近代までに至る歴史であり、私にとって日本という国は、昔のヨーロッパ世界のように、自分がそれまでの人生で得ることも経験したこともない考え方や習慣を持つ人々が住む、遠い、異国情緒のあふれる未知なる国なのであった。

私が交換留学生として、ついに日本を訪れる機会に恵まれたとき、私は大学で勉学に励む一方で国中をヒッチハイクして巡りながら、日本の伝統や歴史に根ざしたものを探し求めた。その後、時の経過と共に私の興味の対象は移り変わっていったが、特に私が日本に住み、日本の大学で働き、日本人や外国からやってきた学生を相手に日本の歴史を教えるようになると、自分の興味の移り変わりが顕著になった。私はますます、日本がどのような類似性を他国と共有しているのか、そして異文化がより一般的に交錯する世界に我々が住むようになった理由を探ることに強い興味を抱くようになった。

私はドイツ人として外国に滞在していると、その土地で作られるビールについてしばしば感想を求められる。ドイツ人であるという理由だけで、私はあたかもビールについて鑑識眼を持つ専門家のように思われてしまうようだ。


ある時、私は日本にはビールがドイツから伝わったとする通説について研究発表を行おうと思い立った。驚いたのだが、この通説が必ずしも根拠のない作り話ではないことが明らかとなった。明治時代に、かなり大人数のビールの専門家集団が日本を訪れており、これにより日本人はビールの製法を習得し、ビールを製造するための設備をドイツで調達したのだ。当時、「馬の小便」(馬のいばり)のような味の飲み物として日本人に敬遠されたビールだが、当初、本場ドイツからやってきた未知の飲み物としてのイメージが強調されて日本の市場に出されたのだった。その一方で、日本の軍将校や留学生たちは外国でビールの味に親しみ、ビール好きになった。ドイツから帰国した京都大学の教授たちは、彼らがドイツで慣れ親しんだ生ビールを醸造所に注文したという。

そもそもこの国に定着している(ビールに関する)通説に興味を持ったことがきっかけで、私は製造技術の広まりや世界の消費者文化、ならびにそれを促進する制度というより壮大なテーマを研究対象としてしまった。この結果、私は比較・多文化的な視点から見た近代社会で幅広く用いられる説得手段としての広告宣伝の歴史に強い関心を抱くようになったのだ。別の研究テーマに取り組むときとは異なり、ビールの歴史の研究に一日中没頭しているとなぜか喉が渇いてくる。ところで、なぜドイツには日本式の「居酒屋」がないのだろう。あってもいいと思うのだが。

略歴

Harald Fuess
(ハラルド・フース)

ハイデルベルク大学クラスター・オブ・エクセレンス(COE)「アジアとヨーロッパ」歴史学教授。東京大学社会科学研究所客員教授。ハーバード大学にて修士および博士号を取得。著作にDivorce in Japan: Family, Gender, and the State 1600-2000など。ヨーロッパ日本研究協会会長。

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