第49回(2022年度)国際交流基金賞
~差異を超える橋をかける~<4>
グナワン・モハマド氏 受賞記念講演

2023.3.22
【特集078】

特集「第49回(2022年度)国際交流基金賞~差異を超える橋をかける~」(特集概要は こちら
グナワン・モハマド氏は、長くインドネシアの民主化運動の指導的役割を果たしてきた、同国を代表する知識人の一人です。報道週刊誌テンポ(Tempo)を発行し、自由と民主主義の重要性を訴える気骨あるジャーナリストとして活躍。一線を退いた後もエッセイ、詩、戯曲、小説などの文筆活動や絵画の制作活動を続けています。表現の自由、宗教と文化、民族のアイデンティティなどを深く洞察する彼の言葉に、世界が耳を傾けてきました。

日本との関係においては、1997年に、国際交流基金・国際文化会館共催のアジア・リーダーシップフェローとして来日、その後もたびたび日本の学会や研究会に招かれて、知的交流を深めてきました。
世界の人口の半数を擁するアジアでは現在、経済発展とグローバル化が目覚ましい一方、同時に格差の拡大や民主主義の後退といった負の面に対する指摘もあります。受賞記念講演会でグナワン氏が語った、現代のアジアにおける「文化」と「差異」をめぐる言説についての考えをご紹介します。


goenawan_01.jpg グナワン・モハマド氏(本人提供)

「『文化』と『差異』への新たな視点」


はじめに告白します。私が2022年の国際交流基金賞を受賞したと知り、とても驚きました。

驚いているうちに、時が過ぎてしまったようです。

2週間かけて日本へ行く準備をしました。PCR検査を受け、10月の気温に合わせて古い冬用の下着を探し出し、新しい上着を購入し、ネクタイの結び方を練習したりしました。

要するに、大騒ぎだったのです。

十数年ぶりの日本再訪に心が躍りました。日本は私を魅了してやみません。しかしその理由は、(川端康成がノーベル賞受賞スピーチで詩的に触れた)日本の美しさにも、(大江健三郎が日本の国家としての苦難について述べた際の)日本の曖昧さにもありません。日本はいら立たしいほど私を魅了します。私は日本語がわからないのに、翻訳したものでさえ、日本の作品の言葉の響きが絶えず興味を引くのでしょう。だからこそ、隔てる溝がいかに深かろうとも、いつも日本を身近に感じていたいのです。

インドネシア出身の私から見ると、広く知られた日本文化の同質性は驚嘆すべきものであり、説明しがたいものです。のちほど触れますが、インドネシアは多様性で知られています。アジアの多くの国々も同様です。しかし日本には、表立った分裂の恐れは見られません。なぜなのか不思議に思ってきました。

とりわけ、文化戦争の時代を生きている今日においてはです。「戦争」という言葉は大げさかもしれません。これは19世紀のドイツで起きた「文化闘争(Kulturkampf)」を、誇張した表現です。

この闘争(Kampf)は、ビスマルク率いるドイツ帝国が、教育政策をめぐりカトリック教会と対立したことで起きました。

私はこの言葉を、現在イランで起きている抗議運動などを指して使用しています。イランでは、女性に厳しい制約を課すイスラムの価値観を堅持する上層部と、宗教的教義に抑圧されていることに気づいた庶民という両陣営が衝突しています。頭にかぶるスカーフであるヒジャブは、もはや単なる布ではなく対立の核となっています。その抗議活動の中では、少なくとも3人の若い女性が殺されました。

恐ろしいと同時に、胸を揺さぶられる出来事です。

戦争と同じく、勇気、そして生と死に関わる話です。


goenawan_02.jpg 受賞記念講演会にて(撮影:サンケイ会館)

米国でも同じように底辺層の女性たちが抑圧されていると思います。彼女たちが中絶を選択した場合、犯罪者となってしまうのです。彼女たちにとって、問題は中絶に反対か賛成かではない。子どもを産まないという選択をできることが、生き延びるための手段なのです。それにも関わらず、キリスト教の教えと「アメリカ的価値観」を掲げる多数派は、中絶容認がアメリカ人のアイデンティティを揺るがすと信じ、それを拒むことで、神聖さを汚す要素と戦っているかのように捉えられています。

「純粋主義」が勢いを増しています。

「純粋主義」とは、自分の行動や信念とは異質な存在を排除しようとする動きです。それは「自己」から「他者」を追放し、社会の混成性を阻もうとする衝動です。それは一種の文化的な偏執症(パラノイア)だと言えます。

私は、アーサー・ミラーの戯曲『るつぼ』を思い出しました。この作品では恐怖と不寛容が見事に描かれています。第3幕で、登場人物のひとりであるダンフォース判事は、このような恐ろしい言葉を口にします。

「今ははっきりとした、明確な時代なのだ――もはや悪が善と入り混じって世界を惑わす、うす暗い午後ではない」

この考え方の根底にあるのは、曖昧さの拒絶です。「悪が善と入り混じるうす暗い午後」に生きることを拒んでいるのです。これは究極の純粋主義です。

多くの場合、宗教の存在が純粋主義を加速させます。人間は、明確な教訓や説得力のある信条を切望するからです。宗教はもはや胸に秘めた沈黙の祈りではなく、ますます制度化されています。やがて宗教は「文化」という概念へと姿を変え、融合するのです。1949年に発表された「文化」の定義に関する短い覚書*1の中で、T・S・エリオットがこう述べているのも当然と言えるでしょう。「いかなる文化も、宗教との関連においてでなければ出現することも発展することもない」

宗教は永遠と結びついています。「文化」はただちに宗教の影となり、人々は「文化」が絶えず創造され続ける営みであることを忘れます。文化とは、明確には定められないプロセスなのです。

とはいえ、宗教との関係のみが理由となって、「文化」を常に一貫したものと見なす誤りが生じたわけではありません。アジアにおける欧州列強の植民地主義を代表とする、さまざまな植民地化の中で、「分類」の作成が要求されました。そこでは、切れ目のないプロセスである「文化」が、いくつもの下位区分に分類され、各々の間に明確な区別が設けられました。

インドネシアの多様性をめぐる言説も、その一例です。インドネシアの多様性は「suku(種族)」という単位で構成されています。各種族が、それぞれ独自の神話とシンボルを持ち、さらには独自の言語もあります。けれど、sukuの起源や単位は不明確です。文化人類学的研究が、sukuのアイデンティティや生活空間は自然に生まれたものではないと明らかにしてくれるかもしれません。sukuは、分類と区分をめぐるインドネシアの政治によって構築されました。国家が地図に線を引いたのです。高い塔の上から町を描くように。実際のところ、現実世界の複雑さを単純化してしまっているのです。


goenawan_03.jpg インドネシアの民族地図 Map of ethnic groups in Indonesia (ontheworldmap.com)

ジャワを見てみましょう。19世紀~20世紀にオランダの植民地政権が、ある地域を、まるで一つのまとまりであるかのように「ジャワ」と名づけました。現実には、この地域は複数の言語や芸術的な伝統で構成されています。それなのに権力者は、そのうちの一つを優位に位置づけ、残りは重要ではないと判断したのです。

ナショナリストが植民地支配の手法を「分割統治」と評するのも、あながち間違いではないようです。

エドワード・サイードは、著書『文化と帝国主義』の中でこう述べています。「帝国主義は文化とアイデンティティとの混合を地球規模で強化した。しかし、そこからもたらされた最悪の、もっとも逆説的な贈り物とは、人々に、自分たちがただひたすら、おおむね、もっぱら白人あるいは黒人あるいは西洋人あるいは東洋人であると信じこませたことだ」

強引な政治勢力としてのかつての帝国主義が姿を消しても、「差異」をめぐる言説が新たな支配の形として再び浮上しています。「差異」が制度化された分類となったのです。宗教的教義と世俗的な利害が、「アイデンティティ・ポリティクス」の促進を通じて、今まさに人類の分断を深めています。

私が目にしているのは、偏執症的な政治の広がりであり、これは人類にとって共通の深刻な脅威です。

現代の課題は、文化のアイデンティティではなく、文化がもたらす創造的な力にもっと注目することで、こうした動きを元に戻すことです。

  • *1『文化の定義のための覚書』(T・S・エリオット著)

講演の模様は、国際交流基金公式YouTubeチャンネルでもお楽しみいただけます。 https://www.youtube.com/watch?v=yTeGEPleysE

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グナワン・モハマド 1941年、インドネシア・ジャワ生まれ。1971年に週刊誌テンポ(Tempo)を発刊し、インドネシアにおける民主主義の重要性を訴え続けた。テンポ紙は多くの国民から愛されたが、1994年には軍艦購入の報道をめぐってスハルト政権により発禁処分を受ける。グナワン氏は自由報道を求めて各種の組織を設立、抵抗姿勢を貫き、1998年にスハルト政権が退陣するとテンポ誌を復活させた。
1997年にハーバード大学ニーマ・フェローのルイ・ライオンズ賞、1998年にジャーナリスト保護委員会(CPJ)の国際報道自由賞、1999年にワールド・プレス・レビューの国際編集者賞などを受賞。
詩や戯曲、美術などの分野でも多彩な能力を発揮し、文筆活動とともにアート全般の普及にも寄与した。インドネシアの文化をベースに、芸術の普及を図る本格的なセンターであるサリハラ・コミュニティの創設は、まさにその象徴である。フランスの芸術文化勲章、インドネシアの文化勲章なども授与されている。

2022年10月20日
公益財団法人 国際文化会館(東京)での講演

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