内なる多様性 <2>
アーティスト コムアイ(KOM_I)さんインタビュー
「まれびととして」
特集「内なる多様性」(特集概要はこちら)
ジャンルを超えた創作活動にとどまらず、世界の音楽や民俗芸能を学んだり、日本国内に暮らす移民の方々と交流したりとさまざまな分野・コミュニティーで活動しているアーティスト・コムアイ(KOM_I)さん。彼女のなかにある多様性とは、他者と関わるうえで大切にしていることは何かを伺いました。
- ――コムアイさんのインスタグラムを見ると、いろんな古典芸能の稽古をなさってますね。先日も剣舞をしていたような。
- あれは「しし踊り」のなかにある太刀の踊りなんです。しし踊りは日本中にあるんですけど、私が習っているのは遠野の「張山しし踊り」という団体。遠野だけでも13団体......いま活動しているのは12団体あるそうで、そのなかでも早池峰という山寄りの流派で教えていただいています。
きっかけは「遠野巡灯籠木~トオノメグリトロゲ~」という、遠野をリサーチしながら死生観について考えるというツアー形式のプロジェクト。そこで初めてしし踊りを観ました。さらに、その報告会が1カ月後のDOMMUNE*¹ で配信することが決まっていたので「いますぐ習ってみよう!」と。
- ――行動力がすごい。
- 来年、とかになってしまうと、せっかく見せてもらった踊りを忘れてしまいそうで(笑)。幸運にも張山しし踊りの先生が東京に住んでいたんですよ。それで、東京と遠野を遠隔でつないで都内のスタジオで1週間みっちりと習って、どうにか形になった感じです。
稽古の後、ごはんを食べながら話していたんですけど、彼女は師匠でもあったおじいさんの踊りを物心つく前から見ていて、その踊りが目に焼き付いているそうです。おじいちゃんの踊りを目指して今も踊り続けている。自分にとって太鼓が鳴ったら身体が自然に動くのが当たり前のものが踊りであって、その構造や体系について考える機会はほとんどなかったそうです。でも、今回の稽古で、私が、なぜここの右手はこの動きなんですか? と聞いたり、変な間違いをしたりするから、あらためて踊りについて考えたり気づいたりするきっかけになったそうで、しし踊りへの熱がさらに高まったとおっしゃっていました。
日々の仕事もお忙しいなかで、いきなりやって来た私のための稽古に何日もかけていただくのが最初はただ迷惑をかけていると思っていたんです。でも、こうやって外の人が入ることでコミュニティーが活性化することもあるかもしれず、それは希望になるかもしれないと思っています。
- ――今回のテーマである「内なる多様性」ですが、個人的になかなか難しいテーマだと思っています。社会に目を向ければ、エスニシティ、ジェンダー、イデオロギーなどさまざまな多様性の現れを見ることができます。けれど、自分の中にある多様性についてあらためて考えてみると、それをはっきり名指すことができないと思うんです。それは日本が多民族国家・多言語国家ではない、という前提に自分が立ち過ぎているからかもしれないのですが。でも、例えばしし踊りの稽古を通して、自分の学びや楽しみのルーツを発見することができたりもする。それはアイデンティティーやその複数性・多様性に触れる経験でもあるなと、いまの話を聞いて思いました。
- なるほど。私の場合は難しいとは思わなくて、逆に自分の中にあるものが多様すぎて困る感じすらあります。いろんなものへの興味があって、そこに向かう遠心力で自分がバラバラになりかけそうな瞬間もあるんですけど、それは決して心地の悪い感覚ではないんですよね。
しし踊りに話を戻すと、ゆったりしてシンプルな基本の動きと、それが発展した刀をさばいて派手な動きの部分がありました。でも実際に踊ってみると太刀の方はすぐに形になるのですが、実は前者の基本の動きを覚えるのに一番苦労しました。私は小さい頃からクラシックバレエやサルサだとか外国由来の踊りばかりやってきて、身体を螺旋状にねじる動きだとか、自分の身体を柔軟にして、可動領域を拡張していくことに慣れ親しんできました。
日本の郷土芸能はそれと真逆なんでしょうね。しし踊りは田楽のように日常的な動きの中から発展してきた動きでした。可動領域の狭い、無理のない動きです。踊っていて自分の視界から手が見えなくなったりしないですし。でも、そこに収めるのがあまりにも難しい。だから、せめて自分のルーツ、ファミリーツリーのなかに遠野で暮らしてた人がいないものか、目覚めて助けてくれ!と妄想してしまうぐらいで。
- ――先祖の力を借りて踊るぞ、と。
- そのぐらい大変で、だからこそ発見も多くありました。例えば、しし踊りの振りは全部「ナンバ歩き」*² なんですよ。これは感動しました。昔の人は右手と右足をいっぺんに前に出して歩いていたと言われても「ほんとかなー、嘘じゃないのかなー」って思ったりするじゃないですか。
しし踊りの振りは、しゃきっと立たずに、膝を曲げた前屈みの状態でぶらぶらっと踊る。その一挙一動の全部がナンバになっていて、踊りを介することで昔の日本人の歩き方へと自然に遡れる。自分が伝統的な踊りや歌に興味を持つのも、古くから受け継がれている芸能のなかには数百年、数千年前のルーツに触れられる(ものがある)からかもしれないな、って思っています。
「遠野巡灯籠木〜トオノメグリトロゲ」で張山しし踊りを舞うコムアイさん
- ――コムアイさんが生まれたのは川崎市のニュータウンだったそうですね。新興住宅地での暮らしが、それとはまったく異なる社会や歴史へと興味を向かせる理由かもしれません。
- そう思います。踊りや歌を受け継いでる姿を美しく感じるし、そのコミュニティーにお邪魔して、根っこの一部を分けてもらってる実感はありますね。もちろん私みたいな人間が外から入っていくことに申し訳なさを感じることもあるんですよ。でも、しし踊りを教えてくれた先生は「踊る人みんなが継承者だから」と最初に言ってくれて、受け入れてくださったのが嬉しかったです。以前、「おわら風の盆」*³ などの踊りを教えてくれる江戸っ子のおばさんが、うちの箪笥にしまってても着る人がいないし似合いそうだからどうぞ、と、お家の紋が入った着物をくださいました。象徴的な出来事でした。血縁や家族関係ではない技術や伝統の受け継ぎ方はもっと増えてくると思っています。
- ――それは多様性を考えるうえでも重要なことだと思います。血に依拠しないつながりや、包摂だけではない共生。
- 国を超えるのも面白いですよ。今挙げたものはたまに習うという感じですが、私がとくに熱心に学んでいるものにインドの古典音楽があって、その先生は私より年下の26歳。
- ――後輩ぐらいの年齢ですね。
- 友達のようでもあるけど、歌に関しては本当にどっしりとしていて、まるで自分のおばあちゃんみたいな存在です。稽古を受ける最初に「師匠と弟子として、これだけは守らなければならないことはありますか?」と聞くと、「音楽へのまっすぐなLoyalty(献身)。それだけ」と言われました。そういうことをさらりと言える20代ってすごい。
インドに滞在するときは彼女の実家にお世話になるので、ごはんや眠るところとか生活のことも全部教えてもらったりする点でもおばあちゃん的な存在なんです。つまり、先生ではあるけれど、生活を一緒にできるぐらい好きな人であるってことも大切ですね。「一緒にいたい」と「技術を習いたい」ということのどっちが目的なのか、自分でもわからなくなったりします。
血のつながりはないけれど、旅芸人の集団のように擬似家族的な感じで集まれる、お互いの芸を磨き上げるコミュニティーにすごく愛着を持っています。
おばあちゃん的な存在のインド古典音楽の師匠と
- ――コムアイさんの活動は、世界各地のいろんな場所やコミュニティーに自在に根を伸ばしてる感じがあります。それは今後も続いていくのでしょうか? あるいはいつかどこかに拠点を定めて収斂していくものでしょうか?
- インド古典音楽のように「これは長くやることになるだろうな」と予感させるものもあるので、いつかどこかで一つに絞ることもあるのかな......。一個のことに集中するのが性分に合ってないのはわかるので、留まることを諦めているところはありますね。
でも、自分は「まれびと」であり、あちこちの土地を訪れて風を入れるような役割を担っていけたらいいなとは思います。現状では一個に専門性を絞っても人に勝てない。勝たなくてもいいんですけどね(笑)。このあいだ京都に拠点を持つ「アンチボディズ コレクティブ」と一緒にパフォーマンスしたんですよ。彼らはいろんな職業、背景の人たちで構成されていて、そのなかで私は歌ったり踊ったり演じたりと、シームレスにいろんな役割を担っていく。そういうあり方を、他の人には真似できないものとして得ていきたい。そうやって、いろんな物事に関わったり変わっていった結果、自分のキャラクター、オリジナリティーみたいなものが浮かび上がってくることに期待してる。そうなるといいなあ、という感じですね。
- ――古典芸能の探求と同時に、リサーチ型のプロジェクトにも近年は積極的に参加していますね。移民の人だったり、東京にあるさまざまなコミュニティーを訪ねて話を聞いてらっしゃいます。そこで得られるもの、触れられる経験はどのようなものでしょうか?
- 単純に人の話を聞くのが好きなんですよ。自分の知らないことを調べるとき、インターネットや本、あるいは映像資料から得られるものってたくさんありますけど、どうも調べ物自体が得意ではない。だから会いに行って話を聞く、というスタイルが自然と多くなります。
「まれびと」として自分があちこちに行って、いろんな国・地域で歓待してもらっているのもあって、日本で暮らしている移民の人たちがどんな気持ちで暮らしているかが気になります。インドだと通りすがりのおじさんが「Welcome to India!」と声をかけてくれたり、乗るはずだった電車の号数を間違ったりすると、乗客総出で荷物を運んでくれたりするんです。優しい人たちにいっぱい助けられている。日本にやって来た人たちに、自分たちがそうできているか気になります。
- ――別のコミュニティーに飛び込むときに困難さは感じませんか?
- ほとんどないんですよね。両親がめちゃくちゃ旅行する人たちで、物心つく前から10カ国以上連れ回されてたみたいで、異文化の匂いや空気に親しみを覚えているのかもしれません。強いて言うと、ヨーロッパのような先進国よりアジアのほうが得意かな。学びたい文化や訪ねたい祭りはアジアにあって、サイケデリックで賑やかな世界に惹かれます。日本だって、ちょっと前までは絶対そうだったと思うんですけど、たぶん明治、ひょっとすると1945年の終戦前後ぐらいから今みたいな硬い感じ、ぎこちない印象に変わっていったのだと思う。インドネシアでお祭りを見て、シャーマンの人がトランスしてるのを見たり、供物をささげながら踊ってるインドの人たちを見ると、こういう世界が日本にもあったんだろうなと。だからアジアが面白くて、そこに入っていくのにも抵抗がほとんどないのかもしれません。3日目にはしっかり場所に馴染んでいて、我ながら順応するのがアメーバのように速いと思ってます(笑)。
- ――そうすると、日本のなかで出会う海外の人たちとも自然と仲良くなる?
- そうですね。私の場合は、出会うきっかけとして、なんらかのプロジェクトやイベントであることが多いので、ある意味では仕事として出会うこともあるわけです。でも、仕事じゃない時間が大事というのは、古典芸能を学ぶときと同様で、お喋りしたり、ごはんを食べたりするなかで、一緒の時間が馴染んでいって、その人の持つ習慣や思考が見えてくる。それは私と相手のお互いに起きていることのはずで、そういう目には見えない共感から関係が深まっていくのだと思います。
歌や踊りを教わるだけでなく、寝食を共にすることで、師匠との関係性も深まった
- ――昨年開催された東京五輪に向けて、近年の日本では「多様性」や「インクルージョン」という言葉が頻繁に使われるようになりました。しかし、その実現はさまざまな意味で難しく、人によってそれらが意味するところも違います。コムアイさんにとって理想とする多様性の形はどのようなものでしょうか?
- はっきりとはわからないんですよね。いろんなことに興味を持っているとはいえ、それは芸能や民俗学の範囲を出ないし、自分が多様性のある人間かと問われたら、偏った価値観で生きてるような気もするから。
ただ、漠然と「いいよね」って認め合えるだけの関係は違うんじゃないでしょうか。最近は、否定しあえる、批判しあえることもすごく大事と思ったりします。気になっていることを言えないままに認めているのは嘘になってしまうから。互いの主張がぶつかり合ったとしても、考えの違う者同士が存在し合っていることを許せるのが理想。
踊りや歌に関してもそうですね。もちろんタイミングとか相手の状況によって言葉を選ばなければならないけれど、理解したいからこそ批判する、自分の意見も言うぞ、っていう。自分が女性だからかもしれないけれど、同調することでコミュニティーになじんでいくのは得意なんですよ。でも同じになることが得意なぶんだけ、「あ、違うな」と思ってしまうと完全に引くことしかできない。そういうところが自分にあるので、批判や議論し合える関係を築くことがうまくなりたいと思っています。
- ――白黒をはっきり分けないと進めないところが自分にもあるので、なんとなくわかります。社会や人間にグラデーションがあることを認め、そのなかでうまくチューニングしながらお互いに批判も共生もできるようになれたらいいなと思います。
- 三島由紀夫と全共闘の映画って見ましたか?
- ――『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』ですね。1969年に東京大学駒場キャンパスで行われた三島と学生同士の公開討論会のドキュメンタリー。
- あの時代はまだ、主義主張の違う人たちがユーモアを混ぜながら話せたんだと思いました。もちろん戦いなんだけれど、それによってお互いが前に進むことのできる感じ。「批判する」って力を健全に持つことで、吟味して育てることができるはずだけど、日本人はそれが苦手なんだよなあ。自分が批判されたらもう終わり、と思っちゃう。
- ――ある話題に対する批判でも、自分が全否定されたように受け止めてしまいがちというか。
- 批判する側の心持ちも大事だけど、批判される側にとってもそれは大事かもしれない。自分が成長するためのアドバイスとして受け止めるとか、もしくは相手が抱いている嫌な気持ちを、自分がよい方向に成長するための参考・チャンスにするだとか。
私が歌や踊りのコミュニティーがいいなと思うのは、こういう現代社会のなかでもつながりを持てて、再会する理由を持つことができるからです。友人として出会いながら、お互いの芸にいろんなことを言えたりもする。ときには議論になったり、批判や批評になるような話題にもなるけれど、互いをリスペクトしながら、時にぶつかることもできる。そういうことができる芸能の世界って「本当にいいなあ」って思っています。
コムアイ(KOM_I、こむあい)アーティスト。1992年生まれ、神奈川育ち。ホームパーティーで勧誘を受けて加入した「水曜日のカンパネラ」のボーカルとして、国内だけでなく世界中のフェスに出演、ツアーを回る。2021年9月に脱退。
2019年、オオルタイチと屋久島でのフィールドワークをもとに制作した音源『YAKUSHIMA TREASURE』をリリース、公演を重ねる。新しい音楽体験「YAKUSHIMA TREASURE ANOTHER LIVE from 屋久島」をオンラインにて公開中(https://another.yakushimatreasure.com/)。現在はオオルタイチと熊野に通い新作を準備中。
2020年からはOLAibiとのコラボレーションも始動。
北インドの古典音楽や能楽、アイヌの人々の音楽に大きなインスピレーションを受けながら音楽性の幅を広げている。
音楽活動の他にも、ファッションやアート、カルチャーと、幅広い分野で活動。
2020年にアートディレクターの村田実莉と、架空の広告を制作し水と地球環境の疑問を問いかけるプロジェクト「HYPE FREE WATER」が始動するなど、社会課題に取り組むプロジェクトに積極的に参加している。
Instagram: @kom_i_jp (https://www.instagram.com/kom_i_jp/)
Twitter: @KOM_I (https://twitter.com/KOM_I)
2022年1月 オンラインにてインタビュー
インタビュー・文:島貫泰介
※写真はすべて本人提供
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