「新型コロナウイルス下での越境・交流・創造」インタビュー・寄稿シリーズ<4>
映画監督 行定 勲さん

2020.10.30
【特集073】

特集「新型コロナウイルス下での越境・交流・創造」(特集概要はこちら)インタビュー・寄稿シリーズ第4回は、新作『劇場』のミニシアターと配信での同時公開や、オンライン会議システムZoomを利用してリモートで制作する等した短編映画3部作『A day in the home Series』をネットで無料配信して大きな話題を呼んだ、映画監督の行定勲さん。故郷の熊本でディレクターを務める「くまもと復興映画祭2020」*¹ もゲストを招いて通常通り開催する等、さまざまな方法で映画を届けようとする思いに迫りました。

『劇場』のポスターと
『劇場』のポスターと

――コロナで映画の上映中止が相次ぐ中、2020年4月からリモートで制作した『A day in the home Series』をYouTubeで無料公開する等、非常にスピード感のある動きをされましたね。

コロナ禍の社会では、「文化がどれくらい重要であるか」ということより「自分の生活や仕事が失われてしまうかもしれない」という危機感の方が勝っていて、やっぱり文化は後回しにされたという感じがあります。特にエンターテインメントであるわれわれの映画や演劇は「今論じている場合じゃない」と。
実はそこにもそれをなりわいにしている人たちがいるんですが、なかなか伝わりにくいですよね。でも文化の灯を絶やさないように支援を求める声を上げる人たちもいて、少しでも作品に救われた人や、文化の力を頼っている人たちもいたと思うんです。

先が見えない状況の中、緊急事態宣言が解かれた後、映画館や劇場にちゃんとお客さんが足を向けてくれるかどうか。この停滞している状況の中で、何か行動しないと伝わらないかもしれない、映画をやっている人間だから、映画を作ることしかできないと思いました。俳優たちの中にもこれから演技の場があるのか不安になる人もいるだろうし、「皆そういう気持ちを抱えながら同じように家にいるんだったら、作品を作らないか」と声を掛けて、リモート3部作を制作しました。

僕がいつもジレンマとして感じていたのが、音楽はギター1本で表現ができ、皆の気持ちに寄り添うことができるのに対し、映画は非常に面倒くさいということ。撮影をして編集をして音を入れて、って段取りをしているうちに、あっという間に半年や1年たってしまうんです。震災で真っ先に僕たちがボランティアに行ったとしても、映画を見せるということは、相手に迷惑を掛けるような大がかりなことになってしまって簡単にはできない。
いつもそれを考えていたから、今回、配信でやれるっていうのがどこか頭にあったんです。

たまたまZoom飲み会をSNSで見かけて、これは一つの文化、一つのコロナ禍の記録であり、物語を紡ぐことができるんじゃないかという発想が浮かびました。みんなが言い合い、同時にしゃべるとハウリングを起こして聞こえないというようなトラブルも、全部リアルな時間として切り取ってそのまま録画する。脚本はあるけど、リアリティーや生々しさが生まれる可能性を見いだしました。

今回の体験でいろいろなことを得ました。今まで配信は自分には非常に遠いものだったけど、配信の最もすごい特性は、完成したものをすぐに見せることができるというところ。今起こっていることをドラマにして撮って、すぐ世の中に発表できるっていうスピード感は、今までの僕たちの商業的な映画の作り方ではあり得ないことです。それが後に、コロナ禍で何が起こっていたかがそのまま画として残る。その時代の感じを残すのも映画の使命の一つですが、それもできるなぁと思いました。

――2004年の監督作『きょうのできごと a day on the planet』*² も2001年のアメリカ同時多発テロ事件(9.11)をきっかけに作られています。2016年の熊本地震の復興のために「くまもと復興映画祭」を運営される等、社会の状況に反応される理由とは?

映画人としては社会を何かくみ取ろうというよりは、10年、20年先の人の感情の変わらない部分っていうものを見つけ出したいって、常に思っているんです。

映画『きょうのできごと a day on the planet』も、9.11が発想の起点にはなっているんですが、あんな大ごとが起こっているのに、こちらには飲み会という日常があり、どうしようもない飲み会に見えるけども、実はいろんな感情が渦巻いている。つまらない日常と思っているディテールの中には、すごく大切なものが隠されているっていうことを浮き彫りにしたかったんです。

映画『きょうのできごと a day on the planet』にちなんだリモート制作第1弾『きょうのできごと a day in the home』の一場面
映画『きょうのできごと a day on the planet』にちなんだリモート制作第1弾『きょうのできごと a day in the home』の一場面(本人提供)

わずかなことから、このコロナ禍という大きな渦の中にいる人間が、何らそのコロナとは関係なく、過去の自分たちの恋愛の話に火をつけて、こんなに激高する力が人間にはあるっていう、自分の感情にそれだけ正直だったらまだ大丈夫だと思いたいっていう望みが僕の中に起こったわけです。

全世界が同じ足止めを食っている状況って、多分ないと思うんです、世界大戦が起こらない限り。世界大戦はもう起こらないと信じたいんですけど、神が同時に与えた試練を嘆いても仕方ないから、それでもそんなに悪くないと思いたい、というのが僕の中にはあったんですよね。

自分の映画が思い通りに上映できず、非常にくすぶったような感情になっていくはずだったんですけど、短編を作ることで、すごく前向きになれた。仕事である映画が、自分のコロナ下の感情を救ってくれたっていう感じです。

――コロナの緊急事態宣言から約半年がたちますが、得たものも大きいと感じられますか?

そうですね。結果として、やっぱりその映画を信じて楽しみにしてくださる人がいて、緊急事態宣言下で制作した『A day in the home Series』2作の視聴者が1カ月強で62万人(無料配信中の合計再生数)を超えたという状況は、非常に心強いですよね。

配信では、想定した観客以外の人たちも見るんだっていうことをものすごく感じたし、賛否両論あって当たり前で、それだけの人が見るっていう可能性に満ちているんですよ。

ただやっぱり、映画館で映画を見てほしいっていう思いは根底にあります。
映画館の音響や大画面は非常に集中できて、観客にマジックが掛かるんです。配信ではそのマジックが掛からないので、見る側が集中できないと、飛ばしたり、やめちゃったりできる。そうすると、本来あるものが伝わらない。最初の段階で引き込まないと観客は見てくれない状況で、作り手としてはシビアになっていくんです。どんどんスピード感が増すし、飽きさせないテーマになりがちになる。

日本の映画は、情緒や余白がすごく重要なポイントになっていて、僕が好きなのは昔の映画。その余白に映画館の暗闇の中で身を委ねて、ちょっと退屈なんだけど、その中に人間が考える時間というものがあって。やっぱりそれはぜいたくな時間と空間なんです。

――撮影現場はガイドラインもできましたが、密なシーンはもう撮れないのですか? 近年増えていた国際共同制作も今はできないんですよね。

撮れていないんじゃないですかね。合成したり、PCR検査をして、安全を確認して撮ったりしても、お金がかかるし、時間やその段取りができるのか。来年以降に延期するところは多いですね。日本で、低予算で少人数で撮れるものは進むだろうけど、大作は、時間や倍くらいの予算をかけてもやるかどうか。それでもまぁ撮っている人は撮っているので。

国際共同制作で、今年、台湾や韓国で撮影するものや、フランスから女優さんを呼んで日本で撮影する予定がありましたが、しばらくは越境することができないので、全部なしになって。今、ゼロから考えているんです。

問われるのは、コロナ禍なのか、コロナの前なのか、コロナがない世界なのか......要するにコロナが起点になるんです。大方の作品はコロナのない世界ですが、それを観客が見て現代劇としてリアリティーを感じるかどうかと思い始めています。

――今後コロナが落ち着いた後も、Zoomや配信はスタンダードになっていくのでしょうか?

いや、それはまた違うんだろうな。配信した作品はコロナに向き合ってのものだった気がします。コロナじゃなかったら、作らなかっただろうし。

ただ、人と人の距離をとって、県またぎをさせないとか地域を分断させるっていうのは、ラブストーリーを作る上では、すごく巧妙な設定なんです。何か考えさせられますよね。

遠距離恋愛の人たちは、オンラインで距離が縮まった気がするけど、これ以上の距離が縮まらないというところがね。
『いまだったら言える気がする』で中井貴一と二階堂ふみが「見つめ合えているのか」と言う、脚本家が書いてきたせりふに、ちょっとドキッとするんです。見つめ合おうとするんだけど、それが交錯しない距離感というか、人として見つめ合えているのかっていう、心がね。
ああいう言葉が生まれるってすごいことだなって思う。やってみると目が合わないとか、実感があるんでしょうね。

そういうものが生まれたことは、この2020年の収穫ではありますね。今回はあのZoom自体を芸術化するのが面白いなと思って制作しましたが、果たして、ずっとこの中で映画が作れるか。Zoomは文化の一つの流れの中で、2020年には絶対欠かせないものだとは思いますね。

中井さんと二階堂さんが恋人役を演じたリモート制作第2弾『いまだったら言える気がする』場面写真
中井さんと二階堂さんが恋人役を演じたリモート制作第2弾『いまだったら言える気がする』場面写真(本人提供)

――コロナが落ち着いても、映画の見方や、人と人の関係性は変わると思われますか?

どうなんでしょう。人間って、何かなくなるってなると惜しくなる。映画もそうで、配信が台頭してくると、絶対映画館が恋しくなるものだと思っているんです。

映画をやる人が「絶対に映画館はなくならない」って信じていないと、映画館はなくなっちゃうと思うんです。だってそういう気持ちの中で、そっちに合わせようとするわけでしょ。だから「映画館は絶対なくさない、映画表現は変わらない」という気持ちを強くしました。

『劇場』で同時配信をやったから、全部配信という方向に行くわけではなくて、時と場合によって使い分けているんです。すぐ状況が元に戻ると思って、そこにあぐらをかいてしまっては、今っていうものに対応できない。だから今年、映画界はもう大打撃なわけじゃないですか。だから僕の周りにそういうことをさせたくないと思ったんです。

見る側としたら「今見たかったのに」という気持ちだし、公開が延期された時に同じ俳優の新しい作品が生まれていたら、気持ちがそっちに行っちゃいますよね。お客さんはシビアだと思います。だから「今やろうとしたものはなるべく早い形で届けないと、ここでちゃんと一つの成果を出さないといけない」と思って、同時配信に踏み切ったんです。「最初に映画館のみで公開されたものを映画として認める」という映連(一般社団法人日本映画製作者連盟)のルールから外れてしまうので、迷いもあり、何度も考えましたが、見てもらえる人たちのことを考えて決めました。

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2020年7月、『劇場』公開初日の東京・ユーロスペース前で。「この気持ちは一生忘れない」と思ったという(本人提供)


配信と映画館をちゃんと比べる状況をちゃんと作らないと。そうすれば映画館の良さをお客さんにちゃんとアピールしていくのに今回はほんとに良い、認識できる時だと思いましたし。

越境できる・できないというのも同じで、もちろんリモートでも会えるけど、やっぱり人に会いたいという気持ちはものすごくて、会って実感して話を聞くってこんなに熱量が違うんだなとか。

ネットでは対峙たいじできているようで、どこを見ていいのか分からないというか、目が合ってないんです。それがちゃんと交錯するか、結び付くかは重要だから、人と会って熱量を伝えることの真価が問われる部分があるんじゃないかなと思います。

――この不自由な経験をしたからこそ、会うことの大切さを認識した上で、また会うとその質が変わってきそうですよね。

全く違いますよね。この時間が非常にぜいたくな時間だったんだなとか、人と会って、物事を動かすっていうことはどれくらい重要なのかっていうことを、再認識しなきゃいけない。

パラダイムシフトがあるとするならば、そういうことが起こっているんじゃないかと思います。もう一回、ちょっとみんな同時に立ち止まって、同じことを全世界で考えてみようよと。そうするとやっぱり随分、何か世の中も良くなるんじゃないか。個人が問われることになってくると思うんです、それぞれが隔離された状態で自分と見つめ合うから。

感染予防においても、個人の考え方がありますよね。映画館は安全な場所だと間違いなく実証されたんですけど、僕の周りにも家族に疾患があるから実家に帰れないという人もいるし、全員が全員、映画館に来られるとは思っていないです。他者のことはいろいろ抑制できないですから、自分で考えなきゃいけない。

届けるってことを考えたら、選択肢がないと見てもらえる人たちに届かないと考えたのが、『劇場』の時なんです。自分なりにちゃんと見極めて、何を選ぶかっていうことが大事です。政治においても全部そうですけど。

――そういった考え方の差による攻撃も起こっていますね。

完全に分断された感じもしなくはないというか。人をバッシングすることの真意はよく分からない。内容もどこかからの受け売りだったり、何か曖昧だったりします。

正解も不正解もないのはどんな世の中も一緒ですけど、相手の立場に立って考えなきゃいけないし、なぜこの人はこういう行動に移ったのかということをちゃんと知ってからじゃないと、本当は向き合えないですよね。

それを何かやっぱり面倒くさいから、見出しだけ見て知ったような気持ちになってしまう、っていう社会はすごく怖いと思うし。コロナも、人によって恐ろしいものだったり、そうでなかったりするから、そこが微妙なコロナ禍で一番気を使う部分になってきたかな。

「くまもと復興映画祭」を10月2日~4日に開催することを決定したんです。「令和2年7月豪雨」で熊本県は大きな被害を受けたので、やっぱり僕たちが何とか映画の力を借りて、少し熊本を元気付けられないかっていう思いがあって。

オンライン開催にすると、この映画祭をやってきたことが、コロナ禍において後退してしまう感じがしたので、ゲストを呼んで、普通にやることが前に進むことだっていう考えがありました。

正解も不正解もないし完璧が存在しないから、自分なりにとにかく実行してみるっていうことが、2020年のテーマになっていて。実行してみると何かしら示唆があるというか。

みんなすごく注意を払ってやるので緊張感はありながらも、映画の中の人物たちはすごく濃厚で濃密な人間関係を築くから、その中に人間の何か大切な、忘れちゃいけないものがやっぱりある。このコロナ禍だからこそ、人間のことを考えている人たちが映画を見るんだろうから、そういうきっかけにするのも一つの映画祭の役割だなとも思っています。

盛況で幕を閉じたくまもと復興映画祭
盛況で幕を閉じたくまもと復興映画祭(オープニングの模様、本人提供)

――映画を通して、物語に共感したり、登場人物の気持ちを想像したりすることは、今の社会においても学ぶべき姿勢ですね。

今こういう時だからこそ、主人公の行動が、何か自分の気持ちをノックしてくれるようなものは多いと思うんです。特に感情的なものにおいては。僕自身もそういうところに今はいるんだろうなという気がしています。

今間違いなく、縦割りの社会から、横のつながりの社会に変わってきている過渡期なんです。コロナにおいても、「俺たちを救ってくれ」「もっとこういうふうにしてくれ」って声を上げる動きに対して、身勝手だっていう考えもあるけど、決してそうではなくて、税金を払って、この国で生きている人たちは、皆言っていい権利があるということ。それをやっている人たちは、やっぱり横でつながっていて、皆が手をつなぐっていうことが大切なんだろうなと思って。

誰かが発見したことを、皆が流用すればいいと思うんです、いい形で。そして一番のスタンダードみたいなものが生まれていく。あいつは間違いだとか、隅からつついていたら、何も生まれないんです。
「失敗は成功のもと」って言うけど、実験なんてずっと繰り返し失敗しているわけじゃないですか。そういう人たちがノーベル賞を取って新しいものを生み出しているんだから。

――今、コロナ下の社会についてどのように感じられますか?

『A day in the home Series』は、配信作品なのに「やっぱり映画館に行きたい」って思いがあふれてるっていう不思議な作品でしたが、映画館で簡単に見られなくなって、コロナじゃないとそんなことは書かないし、思いもしなかったでしょう。改めて映画の素晴らしさを皆が語るべき時なんじゃないかなって思います。

そういうふうに前向きな言葉が世の中にあふれていればいいのになぁと思う。「これは間違いだ」とか、人の揚げ足を取るような言葉じゃなくて、こういう世の中になったらいいなとか、皆が改めて声を上げることで気づきがあるというか。

社会がまっすぐになれるきっかけができていると思うんです。世界中がこうやって止まって、大気汚染も少し良くなったというじゃないですか。いかに人間が動いて、ぞんざいに地球を汚しているかも分かっただろうから、それをもっとみんなが認識すればいい。
ただ、それで一つ問題なのは、僕らや映画館もそうですけど、商売が回っていかなきゃいけないという課題。
コロナによって、いくつもの課題がより認識させられたはずなので、どう自分で実践できるか、そこが問題になってきているんだろうな。一人一人がそうすれば社会として良くなるはずで、それがまた今の時代の映画のテーマになったりするでしょうね。


*¹ 「くまもと復興映画祭」......2016年4月の熊本地震の復興を目的に2017年から毎年開催している。収益はすべて被災地復興に寄付している。
https://www.fukkoueigasai.jp/

*² 『きょうのできごと a day on the planet』......京都の大学院に進学する友達の引っ越し祝いに集まった仲間たちのどこにでもあるような一夜。でも、そこには言葉では伝えきれない想いがあふれている。芥川賞作家・柴崎友香のデビュー作を映画化。

yukisada06re.jpg行定 勲(ゆきさだ いさお)
1968年生まれ、熊本県出身。長編第1作『ひまわり』(2000年)が、第5回釜山国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞し、演出力のある新鋭として期待を集める。『GO』(2001年)では第25回日本アカデミー賞最優秀監督賞をはじめ数々の映画賞を総なめにし一躍脚光を浴び、『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年)は興行収入85億円の大ヒットを記録し社会現象となった。以降、『北の零年』(2005年)、『春の雪』(2005年)、『クローズド・ノート』(2007年)、『今度は愛妻家』(2010年)、『パレード』(2010年/第60回ベルリン国際映画祭パノラマ部門・国際批評家連盟賞受賞)、上海で撮影された日中合作作品『真夜中の五分前』(2014年)、『ピンクとグレー』(2016年)、『ナラタージュ』(2017年)等の作品を発表し、『リバーズ・エッジ』(2018年)では、第68回ベルリン国際映画祭パノラマ部門にて2度目の国際批評家連盟賞を受賞する。2020年は、又吉直樹原作の映画『劇場』を、7月17日より全国20館のミニシアターでの公開とAmazon Prime Videoでの同時配信、また水城せとなのコミック原作映画化の大倉忠義、成田凌出演の『窮鼠はチーズの夢を見る』を9月11日に公開。また、外出自粛応援プロジェクトとしてリモート映画『きょうのできごと a day in the home』、『いまだったら言える気がする』、『映画館にいく日』(いずれもHuluにて配信中)を発表するなど精力的に創作活動に取り組む。

2020年9月 於・東京
インタビュー・文・写真:寺江瞳(国際交流基金コミュニケーションセンター)
※インタビューは新型コロナウイルス感染対策に配慮して実施しました。

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