ケネス・盛・マッケルウェイン(東京大学准教授)
世界に広がる「日本専門家」のコミュニティは非常に多様です。人文・社会科学分野の学者、政府やシンクタンク関係の実務者、ビジネスや法律の専門家などが名を連ね、著名人も若手も、学術会議や企業のイベント、大使館が催すレセプションに共に参加しては、定期的に近況や良い職を得るためのヒントを互いに共有しあっています。ハーバード大学エドウィン・O・ライシャワー記念日本政治学講座教授・日米関係プログラム所長であるスーザン・J・ファー氏は、40年にわたり、国際交流基金とともにこの「日本専門家」コミュニティを支えてくださっています。したがって、ファー氏が平成28(2016)年度の国際交流基金賞の受賞者に選ばれたのは、至極当然なことであり、今回、2016年10月21日に東京で行なわれたファー氏の記念講演「日米関係の謎―50年を振り返って―」について本稿を執筆できることを大変光栄に思っております。
2016年度 国際交流基金賞授賞式(2016年10月18日)
講演の中でファー氏は、この20年間の日米関係について、「きわめて穏やかで、堅固であり、安定している」という点で注目に値すると述べています。このファー氏の見解は、当たり前のようでもあり、また、興味をそそられるものでもあります。当たり前と表現したのは、世界の平和と繁栄が日米両国の関係に支えられていることを疑う者は、学界にも政界にもほとんど見当たらないからです。しかし一方で、この両国のパートナーシップがあまりにも順調に見えるため、その関係の原点について、一歩離れたところから捉えてみようと思う者もまたほとんどいません。だからこそ、ファー氏の見解には実に興味をそそられるのです。
ファー氏は、この「穏やかで、堅固であり、安定している」関係を、当たり前のこととして受け入れず、実は「謎」なのだと主張します。アメリカと日本との間には、生々しい記憶が残る第二次世界大戦や、1980年代から1990年代にかけての経済面での熾烈なライバル関係も含めて、波瀾続きの歴史が繰り広げられてきました。アメリカも日本も、自由と民主主義に対する責任を担ってはいるものの、社会文化的な価値観や地政学的な優先事項については明らかな違いがあります。こうした違いは、他国の歴史から見ても、誤解や衝突へと発展しかねません。実際、ここでファー氏は、1990年に行なわれた調査で、「日本を信頼する」と答えたアメリカ人が44%しかいなかったことを指摘しています。
その上で、今ではアメリカ人の約80%が日本のことを好ましく思っているのはなぜか。この問いへの答えとして、ファー氏は、日米関係が順調なのは、両国が、個人や組織レベルで、意識的かつ段階的に努力を行なってきたからだと主張します。講演では、アメリカにおける日本の取り組みに光を当て、1970年代からこの協力の基盤を支えてきた、パブリック・ディプロマシー、アメリカにある日米協会、そして企業の出資という3本の柱を強調しました。
国際文化会館で開催された、ファー氏の国際交流基金賞受賞記念講演会(2017年10月21日)
アメリカにおける日本の取り組みについて話すファー氏。
第1の柱であるパブリック・ディプロマシーは、日本政府による早期投資からスタートしました。外務省は在米公館を通じて、ほかの国が敬遠した、アトランタやデトロイトなど、海岸に面していない都市でのコミュニティへの関与を進めました。また、語学指導等を行う外国語青年招致事業(JETプログラム)を通じて、アメリカの学生が日本各地で働けるようになり、旅行で訪れることの多い東京近郊以外でも、日本での普段の生活を体験できるようになりました。
特に重要だったのは、1972年の国際交流基金の設立であり、国際交流基金に対して独立した米国諮問委員会が助言を行うとの重要な決定がなされたことが、アメリカにおける日本研究に対する信頼性を向上させ、敬意を高めることにつながったのです。ファー氏はコロンビア大学で博士号を取得後、米国社会科学研究評議会に着任し、国際交流基金の代表者と、基金の運営方法に関して話し合いました。この時ファー氏は、教員拡充に対する助成金という形での投資を通じて、大学内に日本関連のポストを設置するようにと訴えます。その一例が、後にファー氏が教鞭をとることになるウィスコンシン大学マディソン校です。こうした努力は、日本研究の土台になっただけではなく、何千人ものアメリカ人の大学生に対して、日本の政治、ビジネス、社会、文化を紹介することにもつながりました。
第2の柱は、日米協会の存在です。その数は現在全米で37になり、1970年の終わり頃と比べて3倍に増えています。日米協会は、日本に関心を持つアメリカ人のための教育やネットワーク作りに積極的に取り組んできました。また、能の上演や茶道などのイベントを通じ、日本の歴史を紹介するとともに、お弁当作り教室や映画祭を通じて新たなトレンドの普及も行なっています。こうした伝統と現代性とが混在するプログラムは、多様な人々が日本を愛するきっかけとなり、アメリカにおける日本文化の重要性を受け継ぐ役割を担ってきたのです。
第3の柱は、特にアメリカの大学での日本研究に対して、日本企業が行なっている支援にあります。政府による助成は早くから行なわれてきましたが、それに続くように、企業による寄付が次々と実施されるようになりました。ファー氏は、企業はテレビや印刷広告など、もっと注目されやすい宣伝方法を選ぶこともできただろうと指摘します。ところが、多国籍企業も小規模な企業も、学術会議の支援や奨学金制度などの形で高等教育に投資するという、漸進的な方法を選択したのです。企業からの支援は、貿易摩擦が問題となった1980年代の日米関係のように、二国間の政治的な関係が冷え込んでいる場合には特に貴重なものでした。こうした投資によってまず恩恵を受けたのが、日本に関する知識を持ち、日本に親近感を抱いていた当時の若い学生たちです。彼らは、今ではビジネスや政治の世界でリーダーとなり、日米関係をさらに強固なものにしています。
政府や、国際交流基金のような半官半民の組織や、経済界からの相乗的な投資は、日本に対するアメリカ人の世論を好転させるのに大いに役立ちました。この20年間で日本の取り組みはさらに拡大し、ボストン、ニューヨーク、ワシントンDC、サンフランシスコといった沿岸中核都市やそこにある名門大学以外にまで広がっています。日本企業はアメリカ南部に出資するようになり、それがきっかけで、南部では日本企業の工場が発展し、現地の社会経済的構造に組み込まれました。また、国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館など、日本とは一見あまり関係のないプログラムに対しても人道主義に基づく寄付を行ったり、NASCAR自動車レースのような地元で行なわれる主要なイベントに協賛したりすることで、友好関係が深まりました。従来のような宣伝努力では、このようなことは実現できなかったかもしれません。
このように、アメリカにおいて学術面の資金提供やコミュニティ構築などの長期的な投資が行なわれたことで、複雑な歴史や文化的な違いを越えた日本とアメリカとの関係が維持されてきたのです。むしろ、ファー氏が講演の冒頭で述べていたとおり、現在の日米関係が「穏やかで、堅固であり、安定している」がために、1960年代から現在に至るまでにどれほどの時間と資金が注ぎ込まれてきたかという事実が、いとも簡単に忘れ去られてしまう恐れがあります。
多くの日本研究者と同様、私も個人的な興味から日本政治と日米関係について学び始めました。そして、個人的な興味が結果的に私のキャリアにつながったのは、研究費や日本への旅費が得られたからです。私は2012年に国際交流基金の助成金を得たことで、研究休暇を半年間延長することができ、その際に始めた日本の立憲制度などの研究が2015年に東京大学での職を得るのに役立ちました。こうした助成金は、ほかの先進民主国家ではあまり実施されておらず、ラテンアメリカ、アフリカ、あるいは他のアジア地域を専門とする学者にとってはもっと機会が少ないと思います。
ファー氏の講演には、彼女らしい謙虚さが随所にうかがえます。ファー氏は、ハーバード大学に在籍する学者に留まらず、同大学に所属していない多くの若い学者にも、メンターとして研究を奨励し、さらにはハーバード大学の日米関係プログラムやライシャワー日本研究所で勤務する機会を与えてきました。私自身がファー氏と知り合ったのは、モーリーン&マイク・マンスフィールド財団が主催し、国際交流基金日米センターが支援するプログラムがきっかけです。このプログラムは、日米関係に関わる政策立案者や若い研究者が集う機会を提供するものですが、ここでもファー氏が指導的役割を担っていました。
ファー氏は、この間始終、「同僚意識」と「互いへの敬意」を規範として強く推奨してきました。もちろん、あわせて、ファー氏のお好みのミント・ジュレップ(南部生まれのカクテル)や野球のボストン・レッドソックス(ハーバード大学のあるボストン市の野球チーム)も奨めたことは言うまでもありません。日本研究の世界は広くはありませんが、私は、時として「日本研究者」たちが、専門家としての競争心から辛辣な言葉を口にしそうになったときでも、まず互いに支え合おうとする姿を長年目にしてきました。私たちは皆、メンターの示した規範と手本に倣っているのだと思います。そして、ファー氏が後輩たちに進んで手を差し伸べてくれたことで、私たちも同僚や学生に対してより強く責任感を抱くようになりました。スーザン・J・ファー氏の残した伝統と、国際交流基金からのかけがえのない支援によって、日本専門家たちは何世代にもわたって恩恵を受けてきたのです。ファー氏が先頭に立ち、惜しみない支援をしてくれていなかったら、私たち日本専門家のコミュニティは存在していなかったでしょう。そのことに対して私たちは、心からの感謝の言葉をファー氏に贈りたいと思います。
ケネス・盛・マッケルウェイン
東京大学社会科学研究所准教授。主な研究テーマは、政治制度と憲法制定の比較。プリンストン大学卒業後、スタンフォード大学大学院政治学博士課程修了。2005年から2006年にかけて、ファー氏が所長を務めるハーバード大学日米関係プログラム博士研究員、ミシガン大学政治学部准教授を経て2015年より現職。