国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、「翻訳出版助成プログラム」を通じて、過去40年余りにわたり、日本に関する図書の海外出版を支援してきました。出版された図書のジャンルは古典文学、現代文学、歴史、社会学、政治、経済から文化論に至るまで多岐にわたり、その言語は50を超えます。2012年からは、日本の現代社会をよりよく理解するための良書を"Worth Sharing―A Selection of Japanese Books Recommended for Translation "という冊子にまとめ、海外の方々に紹介する試みを開始しました。第1号「日本の青春」、第2号「日本の地方」、第3号「日本の愛」に続き、第4号となる今回のテーマは「日本の生活」です。現代日本社会に生きるさまざまな人びとが織りなす人間模様を描いた20冊を選定しました。第4号の発行に寄せて、選書委員のお一人である尾崎真理子氏に寄稿いただきました。
日本人は勤勉だと言われてきた。果たして、いまもそうだろうか。
このリストにあるのは主1990~2010年代、年号なら平成生まれの作品で、バブルと呼ばれた空前の好景気を経て、経済の失速が続いた時代を背景としている。それでも衣食住はそれなりに満たされ、身を粉にして働く作中人物はほとんど登場しない。「立身出世」という明治以来の近代化につきものの上昇志向は過去のものとなり、会社組織から離れて生きる若者が実社会でも増えている。学歴の高いエリートが生活力も高いという保証はない。男性が家事を分担し、育児や弁当作りに積極的に関わり始めたのも、2000年代になってのこと。一方で、少子高齢化はいやおうなく進む。独りきりで不慣れな子育てに苛立つ若い母親、離婚した父子家庭、長く病む親の死を願う熟年女性、定年後、生活費にも事欠く人びと・・・・・・。現代社会が抱える光と影を、収録作はそれぞれ色濃く映し出す。
家族の形態やライフスタイルに典型、模範はすでにない。血縁も地域の絆も細り、「無縁社会」などという言葉が出現した、まさにその直後、2011年3月11日に発生したのが東日本大震災、続く福島の原発事故である。未曽有のこの出来事が、その後の日本人を新たな方向へ向かわせている。一つの例として、東北の被災地に暮らす作家の近作もここに挙げた。
とはいえ、繰り返すが、第二次大戦後、70年にわたる平和が続くこの国では、生死に直結する切迫した不安は日常から遠く、概ねゆとりに満たされている。ゆとりとは「心を動かすことのできる空間、あるいは隙間」だと述べるのは、長老詩人の谷川俊太郎氏だ。日常の隙間から、日々の営みの奥にうごめく何ものかに、じっと目を凝らす。しのび寄る危機を想像してみる・・・・・・。そうした資質こそ、この時代の作家の条件かもしれない。振り返れば、古代から花鳥風月を、空に、山に、眺め暮らしてきた日本人。勤勉さのみに流されない、その静穏なまなざしにこそ、この国の文学と詩情は宿ってきたの ではないだろうか。
(2015年12月発行"Worth Sharing―A Selection of Japanese Books Recommended for Translation"より転載)
【参照記事】
特別寄稿「さまざまな青春の形」
Feature Story「日本の地方のさまざまな風景」
Feature Story「さまざまな愛の形」
"Worth Sharing ―A Selection of Japanese Books Recommended for Translation" 「Vol.4 日本の生活」で紹介している図書一覧
『季節の記憶』保坂 和志
『マザーズ』金原 ひとみ
『たまもの』小池 昌代
『母の遺産─新聞小説』水村 美苗
『歩兵の本領』浅田 次郎
『さして重要でない一日』伊井 直行
『下町ロケット』池井戸 潤
『生活の設計』佐川 光晴
『ニッチを探して』島田 雅彦
『阿弥陀堂だより』南木 佳士
『小さいおうち』中島 京子
『空にみずうみ』佐伯 一麦
『春の庭』柴崎 友香
『ひとり暮らし』谷川 俊太郎
『パーク・ライフ』吉田 修一
『決壊(上・下)』平野 啓一郎
『俺俺』星野 智幸
『55歳からのハローライフ』村上 龍
『こんな夜更けにバナナかよ』渡辺 一史
『すき・やき』楊 逸