「日中キュレーター交流研修事業」から見えてきた課題とは?



国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、2014年度から日本と中国のキュレーターの交流事業「日中キュレーター交流研修事業」を行っています。2015年は、3月に日本から6名の若手キュレーターらが上海・北京へ赴き11月には中国から招へいした8名のキュレーターらが東京・神戸・広島・金沢などを訪問し、各地の美術館、芸術祭を視察し、相互交流を深めました。
 昨年11月、中国側のキュレーターによる研修報告と、それを受けての日中間のディスカッションが、国際交流基金JFICホール[さくら]で行われました。その模様をダイジェストでお伝えします。

curator_exchange_jp_cn01.jpg 最初の報告者は、ユーレンス現代美術センター副館長の尤洋(YOU Yang)氏。同館で展覧会企画の他、チーム編成、スタッフ管理も行う立場にある尤氏は、日中間で異なる美術館のあり方、キュレーションについて3つのポイントを挙げました。

尤 まず経済成長のアートへの影響について。ここ10年間の中国では、経済成長を牽引するコアが、製造業から農村部の都市化プロセスへとシフトしています。その過程で政府や都市開発企業からの依頼、また新たに都市で生活するようになった「新市民」のニーズに応えるかたちで、メディアの調査によると、現在の中国では年間300〜500館の美術館がオープンしています。
 二つ目はアートの制度面について。近現代美術を研究する環境が整った日本では、学芸員の資格認定、若手キュレーターの育成、展覧会企画の成熟度、入場者対応などの面で、中国よりも成熟しています。これは三つ目のポイントである、今後私たち中国側が取り組むべき人材育成の課題にも通じるものでしょう。
 この3点からは、私たちが直面する問題が見えてきます。現在の中国には美術館をつくりたいという衝動が強くあり、理論は同じではないですが、マンションやショッピングモールのような勢いで新興美術館が建設されています。美術館とショッピングモールのどちらもが地元住民とツーリストの両方に訪れられ、長い時間楽しんで、施設への愛着心を持ってもらうことを目指しています。しかし、そう遠くない将来、これらの美術館は資金調達の限界、企画能力の欠如、人材不足に直面することになるでしょう。

また、日中のキュレーターが関心を向ける社会への目線に共通点を感じるとも尤氏は述べます。大量消費、コマーシャリズムが人々の心に疎外感をもたらすポストモダンの時代において、いかなる新たなシステムを構築し、芸術を表現するか。これは日中のキュレーターにとって共通の問題事項であるようです。


北京で活躍する美術批評家、インディペンデント・キュレーターの夏彦国(XIA Yanguo)氏は、日本の美術館・学芸員から、歴史に対する問題意識を感じたといいます。
 東京国立近代美術館で開催されていた「Re: play 1972/2015―『映像表現'72』展、再演」展は、京都市美術館で1972年に行われた日本初の映像インスタレーション展覧会を「再現」した展覧会で、60〜70年代がインスタレーションという表現形式に留まらず、メディア・アートの勃興期としても重要であることを示す試みとして興味深かったと夏氏は述べます。同展に限らず、日本の美術館には美術史に準拠したキュレーション、作品収集、作家の発掘をシステマチックに行う体制が整っており、アーティストの活動を歴史化する作業が遅れている中国にとって、学ぶところが多くあるようです。しかし同時に、日本のキュレーターの歴史認識の曖昧さが気にかかるとも指摘します。

夏 東京国立近代美術館が所蔵する藤田嗣治の戦争画は素晴らしいものですが、当時の日本軍を賛辞して描かれているのは明らかです。しかしながら、同館の研究員の方たちはその是非の判断を積極的に行わず、議論や評価は来場者に委ねるという立場であるようです。キュレーターの視点から見ると、これらの作品がどのような意図で描かれたのかを明確な態度で示すべきではないかと私は思っています。
 同時代性が重視される現代アートにおいて、政治の問題、政治からの影響は特に思考を要する点です。中国はもちろんのこと、私が客員研究員として滞在している韓国でも、政治の動きに現代アートは大きな影響を受けています。藤田の戦争画に見られる政治的曖昧さについて、私は多くを語る材料を持ちませんが、これは皆さんと議論すべき事柄だと考えます。


現代におけるさまざまな認識の変形・再形成を行うメディアテクノロジーを紹介し、芸術的革新と文化的意識を促進させる、上海の新時線メディア芸術センター(CAC)。同センターでパブリック・プログラムを担当する丁博(DING Bo)氏は、美術館の定義と真の文化交流の可能性を拡張する2つのキーワードを提案しました。

丁 まず提案したいのが「Alternative Historiography」です。これは歴史の組み立て方の代案を考えるメソッドについての造語です。美術館の重要な役割の一つは、歴史が持つ深いストーリーを来場者に伝えることだと、私は思います。徹底したリサーチを通し、展覧会やプログラムのキュレーションが、単一性、直線性を超え、世界の多様な側面を見せるような、作品とアーティストの関連性を築くことなのです。重要なのは、歴史学と歴史そのものを混同しないことです。ここで問題になるのは、誰が正しいストーリーを伝えるかではなく、むしろ、我々がどのストーリーを、どうやって伝えるかです。複雑な過去を持ち合わせる日中の美術館がこの役割を担い、対話のための新たなスペースを作り出す必要があると、私は考えています。
 もう一つは「Translation」で、文化交流が本当に意味を持つかどうか、核となると思うキーワードです。これは、一つの文化をほかの文化と置き換えずに伝えることで、非常に重要で、難しいことです。たいてい、私たちは、他者を理解しながらも、そのことを軽視しがちです。私が強調したいのは、文化というものは特定の時間、場所、そして背景において存在するものであり、文化に歩み寄り、そんな曖昧さが、文化共存の有機的なスペースを作り出せるように、距離感と自制が重要だということなのです。


黄宓(HUANG Mi)氏は、上海当代芸術博物館のアシスタント・キュレーター、館長補佐を担当している人物です。同館は、2012年10月にオープンした新興館ですが、2015年現在、中国本土で最も広い敷地面積を有する初の政府公認の公立美術館であり、上海ビエンナーレの会場としても知られています。黄氏は、中国の現代アートの成り立ちを解説しつつ、同館の成立過程についてプレゼンテーションしました。

黄 1989年、国立中国美術館で初のアヴァンギャルドの展覧会が開かれましたが、そこに参加した肖魯(XIAO Lu)が銃を発砲するというパフォーマンスを行い、展覧会は即刻閉鎖されました。それ以降、中国の現代アートはアンダーグラウンドなものになり、2012年に上海市が上海当代芸術博物館を設立するまでに20年以上がたってしまいました。
 上海当代芸術博物館は、上海市内に古代から現代までの歴史を汲んだ博物館・美術館が欲しいという声に応えて設立された施設です。2012年についに古代に特化した上海博物館、近代に特化した中華芸術宮、現代アートに特化した上海当代芸術博物館の3館に分立しました。すでに一定の歴史化が成された古代、近代と比べて、現代アートは同時代性やグローバリゼーションの影響が強く、観客にとって難解な内容になることが多くあります。世界的な視点と地域性を、どのように融合すべきかは大きな課題です。
 しかし、東京都現代美術館で拝見した「"TOKYO" -見えない都市を見せる」展には強い印象を受けました。同展は、東京地域の歴史や文化を新たに整理して見せるというものですが、キュレーターの長谷川祐子さんがおっしゃった「生きた展覧会をやりましょう」という言葉に私は共感します。公立美術館には、固定されたイメージを定着させるのではなく、リサーチ、展示物の取捨選択、展示やパフォーマンスの方法、研究整理などの面で、より創造的な工夫が求められていると思います。


北京当代芸術基金会の副理事である黄姍(HUANG Shan)氏は、キュレーターや批評家とは異なる視点で、国際交流について見解を述べました。

黄 北京のゲーテ・インスティテュート前館長にお話をさせていただいた際に「交流しかしない交流は意味がないものです」と伺ったことがあります。これは「実を持って、コラボレーションすべき」という意味だと私は思っています。私どもの基金では、現代アート以外にもダンスなど諸分野の支援を行っております。そのなかでも特にインドとの関わりは大きな成功を収めたもので、現在もJawaharlal Nehru大学と連携し、両国のアーティストが頻繁に行き来しています。
 シンポジウムをしただけで終わりなのではなく、今回のディスカッションを通して、継続的な交流のメカニズムを形成できればと思っています。


上海当代芸術館(MoCA上海)キュレーターの王慰慰(WANG Weiwei)氏は、日本で見た美術館、展覧会と、それらを運営する機関それぞれが固有の個性、コンセプトを有している点を高く評価しました。例えば森美術館であれば、3年に一度開催される六本木クロッシングや、小企画のMAMプロジェクトMAMリサーチが、国内外のキュレーターやアーティストとの協力体制を維持している点に注視しました。

王 上海当代芸術館は上海ではもっとも古い私立美術館ですが、それでもわずか10年の歴史しかありません。また、展覧会についても話題性は高くても、芸術教育などの面で継続性を持った企画はなかなか実現できない状況です。他の方がおっしゃっているように、国際的な美術史を背景にしたアーティストの紹介をいかに行うかは、当館にとっても大きな課題です。

 そんな環境の下、王氏はいくつかの挑戦的な試みも紹介してくれました。一つは、アニメーションとコミックから影響を受けた現代アートの作家たちの創作にフォーカスする国際展「Animamix」。2006年にスタートした同ビエンナーレは、2013年から14年にかけてアジアの6つの美術館で開催されました。
 また2015年3月にオープンしたスペース「MoCAパビリオン」では、既に11のプロジェクトが実施され、今後は国内外のアーティスト、キュレーター、美術館と交流する事業を継続していく予定です。 curator_exchange_jp_cn02.jpg
(左・右)前半の中国側キュレーターからの報告後、2グループに分かれてディスカッションが行われました。

以上中国側キュレーターからの報告、問題提起(セッション1)を受けて、セッション2では、日中のキュレーターが(1)「マネジメント、インフラ/枠組み、継続性」、(2)表象、代理、カルチュラル・リプレゼンテーション」の2グループに分かれて、将来の交流も視野に入れた議論を深めました。
 グループ(1)では、美術館が企業や外部団体のスポンサーシップを得ることの難しさ、私立美術館と公立館の運営方法の違いなどから議論が始まりました。公立美術館の例として挙げられた金沢21世紀美術館では、来館者数と収益のみを運営指針とするのではなく、館の特徴ある建築や、内部に付設された無料ゾーンなどによって、金沢市全体に観光客が行き渡り、経済効果が波及することを念頭に活動を展開しているといいます。美術館が一つのシンボル/呼び水として機能することによって、遠方から観光客を呼び込む努力を続けているそうです。こういった幅広い視点から美術館の活動を位置づけ、展開していくことが、同時に展覧会内容などの自立性の確保につながっているのかもしれません。
 このような、アートツーリズムを利用した経済的循環の中で、美術館内外の活動を並行して活性化させていくシステムは、日本だけでなく中国の美術館にとっても興味深い事例であったようです。
 意見交換、議論を経て、日中美術館間の協働事業(リサーチ、ワークショップ、シンポジウム、展覧会など)の可能性、また森美術館の企画「MAMリサーチ」における、海外のアートスペースなどとの協力体制など、既に実現している交流の事例も挙げられました。グループを代表して、中央美術学院美術館学芸部副研究員の蔡萌(CAI Meng)氏は、以下のようにまとめました。

蔡 美術館がどのように地元の市民やアーティストと関わりを結ぶか。いかにスポンサーシップを得るか。どのようにオーディエンスを育てるか。展覧会だけでなく総合的なファンクションを持つことが美術館の目指す方向かもしれない等、たくさんの実りある議論が活発に交わされたと思います。アーティストもキュレーターも健康が一番大事なので、日々運動しましょう、というユニークな提案もありましたね(笑)。
 セッション1とセッション2、そして今回の日本滞在を通して実感したのは、中日間の文化面、経済面などの多様な格差です。しかしこの格差こそがスタートラインになると私は思います。

 続いて、グループ(2)の発表を行うのは、インディペンデント・キュレーター、東京藝術大学美術学部先端芸術表現科准教授の飯田志保子氏。こちらのグループでは、国際展や展覧会のキュレーションなど、「コンテンツ」にまつわる議論が交わされました。

飯田 私たちのグループでは、カルチュラル・リプレゼンテーションについて話し合うために、夏さんから韓国について、あいちトリエンナーレ2016キュレーターの服部浩之さんからは同トリエンナーレについての例を挙げていただきました。
 服部さんによると、現在はトルコとブラジルのキュレーターをチームに招き入れ、構想を練っているそうです。国際展において、地域の特異性に関係した作品を異なる歴史や文脈を持つ場所で紹介する際、その移動が何をもたらすか、それを紹介するキュレーターにどのような責任が生じるかなどについて議論を交わしているといいます。
 これは、今回のディスカッションの主題の一つでもある「カルチュラル・リプレゼンテーション」の問題と強くリンクするものでしょう。地域性、歴史性、政治性の問題をどのようにキュレーターやアーティストが観察し、解釈し、キュレーションに反映していくかは非常に重要です。それぞれが拠点とする立ち位置によって生じる読み込みのズレや、ある種の偏りを生む地政学的問題は継続的に議論していかなければならないと考えました。
 議論のなかで恵比寿映像祭アシスタント・キュレーターの多田かおりさんが指摘されたことですが、映像アーカイヴなどのリソースを用いれば、オーディエンスはキュレーターの主観的な解釈を経ずに作品と中立的なスタンスで対話することができるかもしれません。これは、丁さんが先ほどおっしゃった「代弁しない」ことにも通じる可能性の提言でもあるでしょう。それを受けて、キュレーターやアーティストが何かを代理表象するのでも展覧会を教訓的な場とするのでもなく、曖昧さを許容し、考えるための場/オルタナティヴな公共圏をつくることはできないかという議論が交わされました。「展覧会」とは別の、「生きている空間(living space)」をコラボレーションによってつくるということです。

 とはいえ、そういった試みは歴史的に既にあるのではないか、と飯田氏は付け加えます。リレーショナル・アートの先駆的作家であるリクリット・ティラヴァニがハンス・ウルリッヒ・オブリストと共同キュレーターを務めた第50回ヴェネチア・ビエンナーレにおける「ユートピア・ステーション」(2003)や、同じくオブリストがホウ・ハンルゥと共同企画した「シティズ・オン・ザ・ムーヴ」(1997-99)などがそうした先駆的な例に該当します。重要なのは、(展覧会史を含む)歴史の内にある既存のアーカイヴを共有し、限定されがちな参照項に対して柔軟な姿勢を持つことなのかもしれません。
 中国のキュレーター陣から指摘があったように、美術館やアートスペースという場に関わる人々が、展覧会という形式にとらわれることなく国際的なコラボレーションの機会と場(領域)をつくることは可能だろうか、という問いは、この報告会に出席した全員が共有する関心であると言えるでしょう。その検討と実践が始まる出発点に、今回の報告会はなったかもしれません。

尚、2016年3月には日本人キュレーター4名が北京と上海を視察し、継続的な交流事業が行われています。


日中キュレーター意見交換会参加者(2015年11月13日開催)
[中国側]
蔡萌 CAI Meng(中央美術学院美術館[CAFAM]学芸部副研究員)
丁博 DING Bo(Chronus Art Center[新時線メディア芸術センター]パブリック・プログラム担当)
黄宓 HUANG Mi(上海当代芸術博物館[PSA]アシスタント・キュレーター、館長補佐)
黄姍 HUANG Shan(北京当代芸術基金会副理事)
王慰慰 WANG Weiwei(上海当代芸術館キュレーター)
王小燕 WANG Xiaoyan(日中通訳者)
夏彦国 XIA Yanguo(美術批評家/インディペンデント・キュレーター)
尤洋 YOU Yang(ユーレンス現代美術センター[UCCA]副館長)

[日本側]
飯田志保子(インディペンデント・キュレーター/東京藝術大学美術学部先端芸術表現科 准教授)
牛島大悟(東京藝術大学美術学部先端芸術表現科助手)
佐々木玄太郎(熊本市現代美術館学芸員)
白木栄世(森美術館エデュケーター)
髙嶋雄一郎(神奈川県立近代美術館主任学芸員)
多田かおり(恵比寿映像祭アシスタント・キュレーター)
崔敬華(東京都現代美術館学芸員)
中尾英恵(小山市立車屋美術館学芸員)
服部浩之(青森公立大学国際芸術センター青森[ACAC]学芸員)

*日本側、中国側参加者の所属先・肩書きは2015年11月現在のものを記載しております。

編集:島貫泰介(美術ライター/編集者)/ 意見交換会通訳:王小燕(日中通訳者)、池田リリィ茜藍(日中通訳者/翻訳家)/ 意見交換会書記:小出彩子(ライター/日英翻訳家)


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