池津 丈司(カイロ日本文化センター 日本語教育アドバイザー)
「私たちにとって日本語を学ぶことは、未来に希望をつなぐことなのです。」
今年の8月、国際交流基金カイロ日本文化センターで行われた中東日本語教育セミナーで、シリア人の若い日本語教師がそう言った。
このセミナーには、中東・北アフリカ地域から毎年40名前後の日本語教師たちが集まり、研修や情報交換を行っている。今年は15年目に当たり 7か国から40名が参加し、内戦下のシリアからも2名の参加が叶った。
ここ数年、中東地域は革命や内戦、紛争が頻繁に起き、以前にもましてこのような広域からの参加者が集まる合同研修会を開催するのが難しくなってきている。自国から出るのが難しかったり、カイロまでは来られたとしても、帰れるかどうかが不安だったり、理由は様々である。
中東日本語教育セミナー参加者の集合写真
2年越しで叶ったセミナー参加
シリアからの参加も簡単ではなかった。昨年もシリアの日本語教師に参加してもらおうと連絡を取り合って早くから準備をしていたのだが、参加する教師が大学の許可を取らなければならなかったり、ビザ取得に必要な書類の情報がなかなか得られなかったりして、いよいよビザの手続きが出来るようになった時には時間切れとなってしまい、断念したのだった。
そして今年、まだ正確な日程も内容も決まらないうちから、やりとりをはじめて準備を進めた。ビザの申請は渡航の1か月前にならなければ受け付けてもらえない。そこで不備が見つかればまた間に合わないという事態になるかもしれない。申請手続きを始めても、無事ビザが取れるのか、進捗がなかなかつかめずハラハラさせられた。
なんとか7月中にエジプト外務省から在ダマスカス領事部にビザ発給の許可が下り、ビザの取得はできたものの、経由地をどこにするかでまた頭を悩ませた。だから、2人がパスポート・コントロールを無事通過したという知らせを受けたときは、思わず、ヨッシャ!とこぶしを握りしめた。
未来に希望をつなぐために
日本人の常識では、なぜそこまでして2人がこのセミナーに参加しようと考えるのか、簡単に推し量れないかもしれない。今回のセミナーで行われたグループ・ディスカッションで、学習者の学習目的は何かということが話し合われた時、どこの国から来た教師たちもおおむね、最近はアニメやマンガをきっかけに日本語を始める学習者が多くなったということを話していたが、シリアから来た2人は違った。
「日本は第2次世界大戦で広島と長崎に原子爆弾を落とされ、すべてを焼き尽くされてしまいました。にもかかわらず、広島と長崎は美しい街によみがえり、日本は世界一の先進国になりました。私たちシリア人にとって日本語を学ぶことは、未来に希望をつなぐことなのです。」
彼女たちは大学を卒業したばかりで教壇に立っている。教師が足りないから、必要な学位も教授法の勉強も、経験もない彼女たちが雇われているのである。しかし、彼女たちは日本に留学したこともあり、日本語能力はしっかりしている。なにより、スライド・プレゼンテーションで発表した彼女たちの教授法がすばらしかった。
自分たちが学科の上級生に日本語を教えるのは限界がある。だから、教えるのではなく学生に学ばせようと、学生にいろいろなテーマについてインターネットを使って日本語で調べさせ、日本語で発表させるという方法を考えた。彼女たちは苦肉の策だというが、これは世界中で優秀な教師たちが行っているすばらしい方法である。ちなみにこの方法はカイロ日本文化センターの日本語講座でも採用している。彼女たちは、そんなアイディアを考え出し実行するだけの力を持った優秀な教師たちなのである。
(左・右)シリア人日本語教師ラガド先生のプレゼンテーション
(左・右)シリア人日本語教師ヘバ先生のプレゼンテーション
(左)宮崎里司教授(早稲田大学大学院日本語教育研究科)による基調講演で質問をする参加者
(右)分科会の様子
シリア人教師の打ち明け話とは
一昨年の12月の新聞で、内戦下で5名いた日本人教師が全員引き上げた後のダマスカス大学の日本語学科が紹介された。残されたシリア人教師が奮闘して授業を続けている様子、戦火をくぐって2時間もかけて授業に通う学生などが紹介されていた。今年の4月には教師不足で新入生を受け入れられなくなったことが記事になった。
そして、セミナーが終わり、懇親会も参加者が三々五々帰り始めたころ、2人に呼び止められ、私と当センター所長、大使館の広報文化センター所長の3人が、別室で彼女たちから衝撃的な話を聞くことになる。
このまま日本人の教師が戻らなければ、おそらく来年にはまた新入生を受け入れることができず、日本語学科が閉講することになるというのである。そして、大学側は若い2人の教師には新しいポストが用意できず、彼女たちは失職する公算が高いのだということであった。何かいい知恵はないかと考え、遠隔教育、研修、留学、学習者コミュニティー、さまざまな言葉が思い浮かんだが、解決に結びつく考えが一つとしてまとまらず、言葉が出なかった。
シリアの日本語教育のために出来ること
何か力になりたいが、いったい何ができるだろう。当センターの講師たちにも相談してみたところ、解決にはならないかもしれないが、講師の一人が本を送ろうとSNSで呼びかけ、日本語の教材を集めはじめた。彼女たちがシリアへ帰る際の荷物には、あと2㎏の余裕があるということであった。2㎏の本というのはあまりに少なくないだろうか。案の定、すぐに20㎏の本が集まり、当センターが本の送料を負担して郵便で送ろうということになった。9月、その郵便がダマスカスに届き、彼女たちからこれから本を引き取りに行くという連絡が入った。
そして9月の終わり、彼女たちの一人が、国際交流基金の修士コースに応募したいということで研究計画をメールで送ってくれた。シリアの現状をまっすぐに見つめ、日本人教師がいなくても、日本語教育の質を下げないための研究計画がそこにはつづられていた。彼女たちがいれば、たとえ日本語学科が消滅したとしても、また復活させることができる。彼女たちを全力で応援したい。シリアにも彼女たちにもそれだけの価値がある。
ダマスカス大学日本語学科から日本語教材寄贈のお礼として届いた写真