川口隆夫(ダンサー、パフォーマー)
国際交流基金ニューデリー日本文化センターは、ダンサーの川口隆夫氏を招へいし、インパール作戦71周年を迎えたマニプールにてワークショップおよび公演、デリーにてレジデンスプログラムのメンターとして活動いただきました。インドから帰国したばかりの川口氏に、今回のマニプールでのワークショップと公演の様子をご寄稿いただきました。これまでマニプールでは、日本の舞台関係者の中では、中馬芳子氏(2004年、2012年)や山海塾(2014年)がワークショップや公演を行なっていますが、コンテンポラリーダンスがまだそれほど浸透していないマニプールにおいて、ダンスの裾野を広げようと奮闘している現地のダンサーと協働することで、コンテンポラリーダンスに触れたことのないマニプールの若者たちがコンテンポラリーダンスと出会う大きな機会となりました。
成果発表作品『The River』を披露 ©Tantha
「君が、マニプール初のコンテンポラリーダンスなんだ!」 この脅しまがいの言葉にひるむ間も与えず、さらに追い討ちをかけるように、スルジット・ノンメイカパムはこう付け加えました。「最後の公演には、700席の立派なホールを押さえたからね。」
これはえらいことになったと思いました。「日本からダンサー・振付家がやってきて、コンテンポラリーダンスを見せてくれる、教えてくれる!」という期待が大きく膨らんで破裂寸前、ワークショップの応募者もマニプールや近隣州から40名近くになったと聞かされたからです。だって、僕は日本のダンス界を代表するわけでも、ましてやコンテンポラリーダンスを代表するわけでもなんでもないですし...。
インドの東北部、バングラデシュとネパールやブータンにはさまれて細い突起物のようにミャンマーへ向かって突き出たインド領、マニプール州インパール(注1) での2週間の滞在(5月25日〜6月5日)は、まさに地上の楽園でした。温暖湿潤の気候、水田が広がって緑豊かです。昼間は気温が30度くらいまで上がって蒸し暑くはありましたが、夕立が降り、日が落ちるとそれはそれは涼しくて甘い風が吹いてうっとりするほど気持ちがいいです。街の中心を貫いてミャンマー、タイ、マレーシアを経てシンガポールへと続く幹線道路は拡張工事の真っ最中で、拡張するために道端の建物が文字通り半分削られてずらーっと立っているのに唖然とし、道が片側遮断されているところをかまわず車が逆走するのには肝をつぶしたけれど、近所のあちこちにある寺院ではちょうど年に一度の祭礼が行われて、色鮮やかなのぼりやはたが立ち、音楽が奏でられ、色とりどりの衣装を着た人たちが歌い踊っていました。
(左)半分削られた建物
(右)市場の一角
体のすべての感覚を開放して
この楽園に生まれ育ち、現在も活動の拠点を置くスルジットはすでにいくつか自分の作品でインドはもとよりアジア、ヨーロッパを回っている、れっきとしたコンテンポラリーダンスの振付家でありダンサーです。だから最初の脅しは冗談だと思いきや、彼の作品に出た数人を除いてワークショップに集まった20余名の主に10~20代の若者たちは、初日、さあ何が始まるのだろうとぽかんとした顔をしてじっと待っているのです。どうやら"初コン"というのは本当らしかった。それでも話を聞いてみるとまったくの素人ではなく、みんな土地の伝統舞踊や音楽を勉強している学生や踊り手、アーティストなのだというじゃありませんか。さあ何から始めようか。いつもの常套手段で、まず床に仰向けに寝て目を閉じ静かに呼吸をして...。うーむ、どうも手応えがありません。瞑想から身体を解放していくというアプローチはダメだなと思い直し、立ち上がって歩く、走る、飛ぶ、転がる、倒れる、体全体を使って空間にエネルギーを放射するような方向に切り替えました。
(左・右)ワークショップの様子
"初コン"を楽しんだワークショップ参加者と
単純過ぎる切り分けかもしれませんが、体を厳しく律して完成された型や美を再現する伝統舞踊、特に寺院で見たマニプリ舞踊は体躯をずらさず主に腕や手の動きとゆったりとした歩みが特徴です。こうした踊りしか許されてこなかった若者たちは、言って見れば伝統という窮屈な衣を脱ぎ捨てて、体のすべての感覚を解放して走り転がり回れば、それがダンスだとなったらこれはもう大はしゃぎになって、予定の2時間はあっという間に過ぎてしまいました。それじゃ短いから、次の日から1時間早く始めて朝8時(注2)から11時過ぎまでの3時間に延長しました。さらには若者たちにとってまたとないチャンスなので最後に成果発表公演もしようということになり、当初1週間の予定をもう1週間延ばして創作と稽古をしました。もともとワークショップの経験も少なく、人に振り付けることをほとんどしてこなかった僕にとって決して簡単なことではありませんでしたが、何をやらせても実にいきいきと楽しそうにやる彼らの顔を見た瞬間から、僕が彼らに引っ張られました。そうしてそのプレッシャーは大きな喜びへと変わっていったのです。
伝統と現代を行き来する、即興のやりとり
公演はワークショップ成果発表の他に僕のソロダンスとスルジットのダンスフィルム(注3)、そして地元伝統音楽グループ「Laihui」(「ルーツ」の意)とのコラボの4演目。最後のコラボは祭礼の舞踊と音楽で中心的な位置を占める「ペナ」という弦楽器を演奏するチャオバも加わって、3人の即興ダンスをしようということになりました。滞在していたゲストハウス「The Giving Tree」の大きな庭で夕暮れどきに2度ほど稽古をし、特に決め事もせず始めた即興のやりとりは、伝統と現代、物語と抽象の間をゆったりと行き来しながら、3人の踊りの違いや共通点も寛容に飲み込んで、あっという間に小一時間が過ぎ、この滞在でもっとも楽しい至福のひとときとなりました。
ゲストハウスでの即興ダンス
スルジットは地元コンテンポラリーコミュニティのホープです。一族郎党が住まう実家の一棟の屋上に屋根をつけてスタジオに改造(ちょうどこのプロジェクトに間に合った!)。毎朝のワークショップの後にお姉さんが用意してくれたマニプール料理のお昼が絶品で、お母さんや叔母さん、従兄弟や甥子たちみんながにこやかに歓迎、滞在したゲストハウスも全面協力してくれました。そして何よりこの企画全体をオーガナイズしている制作チーム「Nachom Arts of Contemporary Movement」(注4)は、映像、音楽、デザインなどのアーティストが集まる企画集団で、アテンドから公演制作、広報まで細やかにかつ精力的に動きます。分離独立を抑えようとするインド中央政府軍の厳しい監視下にあってさまざまな規制がかかる中、世界のコンテンポラリーとつながろうとするマニプールのアートコミュニティの期待を背負って東奔西走する若者たちの姿は、なんとも美しくすがすがしいです。
最終公演『The River』へ
そうして迎えた最終日。人口数十万足らずの地方都市マニプール州インパール初のコンテンポラリーダンスのイベントは500名を超える観客がつめかけ、テレビやラジオ、新聞雑誌、ネットなどあらゆる媒体が取材におしかけ、ロビーにはポスターを背景にレッドカーペッドが敷かれた撮影コーナーまで用意されていました! そして、さあ、本番です。自分のソロやスルジットとのコラボパフォーマンスはさておき、一番の気がかりは若者たちのパフォーマンスでした。これが親心というものでしょうか。彼らの初コンポラ作品、題して『The River」は15分足らずの短い作品でしたが、稽古では見せることのなかった溌剌とした笑顔とエネルギーが炸裂しました。僕も観客席の後ろでハラハラドキドキしながらラストがばっちり決まったときには思わず小躍りしてしまいました。当然、観客総立ちのスタンディングオベーション...。と言いたいところだけれど、拍手はがっかりするほどまばらでした。最初の演目の僕のソロのときもそうでした。いったいどうしたというのでしょう。実は、マニプールの観客は決して退屈したわけではなく、ただ拍手したり歓声をあげて賞賛を表現する習慣がないのだというのです。なんとも複雑な気持ちでしたが、ロビーにいたら、出てくるお客さんが次々と握手や一緒に写真をリクエストしてきて、きりがありませんでした。こうした観客の反応は初めてでした。というわけで、「マニプール初のコンテンポラリーダンスとの出会い」は大成功となりました!
(左)ソロ作品『グッド・ラック』 ©Tantha
(右)Laihuiとのコラボ ©Tantha
滞在の全日程を終えマニプールを離れて1ヶ月も経たないうちに、ニュースでマニプールでの騒乱のニュースを聞きました。マニプールはいまだグローバルマネーの介入が少なく開発も進んでおらず、ゆえに民族独自の伝統文化や自然も多く破壊されずに残っている地上の楽園です。そう思えたところは歴史を通じて、日本の関与も含めて国際紛争を繰り返してきた土地であり、今でも緊張が続いています。彼らの無事を心から願いつつ、ぜひまた彼の地を訪れて、彼らと一緒に踊りたいと思います。
公演後に関係者と
(注1)先の大戦で旧日本軍が侵攻し多数の犠牲者を出した悪名高いインパール作戦とはここのことで、記念碑があり、滞在中、71周年の記念式典も行われました。
(注2)普通の時差2時間分くらいは東にずれているので、4時には日の出。朝が早く、8時開始は普通の時間なのだそうです。
(注3)川口隆夫ソロダンス『グッド・ラック』(2008年初演)。そして『Black Pot and Movement』(2013年)は国際交流基金ニューデリー日本文化センターの助成を受けて制作されたスルジットと日本人ダンサー上野真由香とのコラボ映像作品で、今年10月12日、彩の国埼玉芸術劇場で開催された国際ダンス映画祭にて上映されました。
(注4)Nachom は「耳に飾る花」を指し、マニプールで男女ともに特に祭礼のときにつける習慣があります
川口 隆夫(かわぐち たかお)
1962年佐賀県生まれ、東京在住。学生演劇からパントマイムをベースにした肉体演劇を経て、パフォーマンスへと進む。90年からATA DANCE、96年より「ダムタイプ」に参加。03年以降はソロを中心に、演劇・ダンス・映像・美術をまたぐライブパフォーマンスを探求。近年は舞踏に取材した『病める舞姫をテクストに』(2012年)、『大野一雄について』(2013年〜)を発表し、国内外をツアー。現在、ロサンゼルスにあるゲイ&レズビアン資料館 ONE ARCHIVES との共同制作による<公衆トイレにおける男性間の性行為>をテーマにした新作パフォーマンス『Touch of the Other - 他者の手』を2016年1月東京にて世界初演する。