大南信也(特定非営利活動法人グリーンバレー理事長)
中島諒人(特定非営利活動法人鳥の劇場 芸術監督)
坂東幸輔(坂東幸輔建築設計事務所主宰/バスアーキテクツ主宰)
国際交流基金では、文化芸術による地域づくりや地域の特色を生かした国際文化交流に取り組む団体の支援を目的に、「国際交流基金地球市民賞」という顕彰事業を行っています。徳島県神山町の「特定非営利活動法人 グリーンバレー」は2009年度、鳥取県鳥取市鹿野町の「特定非営利活動法人 鳥の劇場」は2011年度に同賞を受賞し、それぞれの地域を拠点に、地域や国を超えたつながりを生む活動を展開しています。こうした取り組みは、過疎に悩む地方にどのような創生の可能性があるのかを教えてくれます。両者の代表者、グリーンバレーの大南信也氏、鳥の劇場芸術監督の中島諒人氏に加え、神山町のまちづくりにも関わっている建築ユニット・バスアーキテクツの坂東幸輔氏をお迎えし、それぞれの地域での芸術活動がもたらした変化や今後の可能性についてお話いただきました。
(2015年1月29日 国際交流基金2階JFICホール「さくら」でのトークセッション「地域と世界をつなぐアートの力」より)
鳥取県の文化的ベンチャーとして
中島:鳥の劇場は2006年から鳥取県の鹿野町で活動をしている劇団であり、劇場です。最近は文化政策についての提言もしています。活動拠点は廃校になった小学校の体育館、幼稚園や小学校の教室です。演劇が中心ですが、地域に対して出来る範囲で総合的なアートを提供するアートセンターのような役割を担っていこうと活動しています。
(上)鳥の劇場の外観
(下)鳥の劇場内のホワイエ
写真提供:鳥の劇場
国際的なシーンとのつながりでは、鳥の劇場にはいくつかのテーマがあります。ひとつが海外の方と協働した演劇作品の制作であり、ふたつ目が今年7回目を迎える「鳥の演劇祭」という国際的な演劇祭の実施です。それに、蓄積してきた学校との関わりを生かして実践している国際文化交流事業もあります。
中国や韓国の俳優たちに参加してもらい制作した作品では、戦争がテーマで、鳥取が戦時中だった70年前の状況を理解するため、鳥取県の戦争体験者の手記や戦没者名簿を劇中に取り入れました。しかし、無名の一個人が戦争という巨大な暴力に虐げられる姿がある一方で、私たちが国としてやってきたこともあります。こうした視点を劇に取り込み、芝居を発展させたいと、韓国の俳優に劇に参加してもらいました。また、フィンランドの人形作家と『クルミわり人形とねずみの王さま』というお芝居を上演しました。ヨーロッパなどでは12月になると『くるみ割り人形』や『ヘンゼルとグレーテル』を上演して、オペラハウスに親子連れが鑑賞に出かける習慣があります。鳥取でもそういうことができないかと考え、『くるみ割り人形』を上演することを思いつきました。この思いつきは、フィンランド人のイイダ・ヴァンタヤさんという非常に面白く才能溢れるアーティストと出会ったことで実現できました。影絵とイイダさん手作りの人形やお面を使い、人と人形と影絵が組合わさったお芝居で、非常に好評でした。この芝居の舞台美術は、たまたま知り合った別のフィンランド人の作家に手伝ってもらいました。私たちが借りている校舎に、東京藝術大学修士課程の卒業制作をするために、ふたり(一人が鳥取出身)のアーティストが滞在制作をしていて、そのアーティストの知り合いが、マリさんというフィンランド人アーティストでした。私たちが廃校を使用して活動することが引き金になって、アーティストが来て、このマリさんというフィンランド人アーティストも来てというご縁でした。マリさんは鳥取が気に入って、今は結婚して鳥取に住んでいます。
(左上・右上)戦争を主題にした公演『およそ七〇年前、鳥取でも戦争があった。戦争を知らないわたしは、その記憶をわたしの血肉にできるだろうか。』に、劇団ティダの俳優キム・スンジュン氏を招き共演。
(下)『クルミわり人形とねずみの王さま』
撮影:中島伸二
2008年から毎年開催している鳥の演劇祭は、私たちの劇場だけではなく、街中に小さな劇場をいくつも作って、多い時には一日に4本ぐらいのお芝居をはしごして見られるイベントです。3週末を使い国内外から様々な劇団を招いて実施しています。海外の劇団の招へいを始めたのは2009年から、2013年からはまちづくりとも積極的に連携し、雑貨屋やカフェを一日だけやってみたい人に、一日1000円で週末だけ空き家や空き店舗を貸し出す「週末だけまちの店」もやっています。子ども向けのプログラムもありますし、毎週末にはその週に来ている全ての劇団とお客さんとでパーティーをするのですが、これが大変盛り上がり、友情を築く良いきっかけとなっています。鳥の演劇祭では、徳島県の神山町の皆さんと作ったお芝居も上演しました。チェーホフ作の『結婚申込』という喜劇の舞台を江戸に置き換え、神山町の方々に出演していただきました。鳥の劇場の俳優がひと月ぐらい神山町に滞在し、皆さんにいろいろと面倒を見て頂きながら、一緒に稽古して制作し、神山町で上演をしましたが、「せっかく作ったのだからもったいないね」と、鳥の演劇祭でも元議場を劇場にした議場劇場で上演し、大変に盛り上がりました。
鳥の劇場『天使バビロンに来たる』上演の様子(会場:旧小鷲河小学校校庭)
撮影:中島伸二
(左)「鹿野タイムスリップツアー」
昔の鹿野町の記憶を、色々な人の話しから掘り起こし、それをもとに町内各所で、鳥の劇場の俳優が昔の町の人を演じる。観客は町歩きを楽しみながら、各所でお芝居も楽しむ。2013年実施。
(右)「鹿野往来交流館童里夢」
鳥の演劇祭では、町内各所に小さな劇場を特設で設けている。この施設は、上演会場のひとつ。
撮影:中島伸二
(左)「週末だけのまちのみせ」公募で集まった出店者が、鹿野町内の空き家や空き店舗を使って、演劇祭期間中にお店を開く。
(右)鹿野街道
撮影:中島伸二
鳥の演劇祭のパーティーの様子
撮影:中島伸二
最後に教育分野での海外との関わりをお話しますと、私たちの事業に参加する海外のアーティストに、子ども対象のワークショップを開催してもらっています。また、韓国の劇団ティダの本拠地である江原道華川郡に、鳥取の演劇部の高校生有志10名が訪問し、彼らが普段からワークショップを行っている韓国の中高生と交流をし、一週間滞在して演劇キャンプを行いました。
鳥の劇場は、社会に顕在化していない需要や未来のニーズを発見し、演劇やアートを軸に、過去の文化的・芸術的蓄積、先人の思索や挑戦、人の力、つながりの力、想いの力、場の力を資源として、未来のためのニーズの意味を社会に伝えて、少しずつ具体的な成果を出していく。成果が出され社会的に共有されていくことで、いろいろな意味で資源が増える。それに基づき新しい挑戦をし、新しい試みをしていく、ある種の文化的ベンチャーのようなものだと、私たちは活動を捉えています。
文化芸術から取り組みはじめ、10年以上かけて農業という課題に行き着いた
大南:私は約四半世紀ほどまちづくり活動に携わっています。日本全体が人口減少の時代に入り、過疎地域においてその減少を食い止めるのはちょっと無理だろうと考え、そうであれば数だけにとらわれるのではなく、もっと内容を見ていこうと、「創造的過疎」という言葉を作りました。外部からクリエイティブな人材を誘致して人口構成の健全化を図り、多様な働き方ができるビジネスの街として価値を高め、それによって結果的に農林業だけに頼らない持続可能な街ができないかということです。
Sansanのサテライトオフィス「神山ラボ」
1999年から、徳島県が国際文化村を神山に作ろうという構想を打ち出したことをきっかけに、アーティスト・イン・レジデンス事業を始めました。毎年、日本人1名、外国人2名のアーティストを神山に招待し、住民達でその制作支援を行います。レジデンスで制作された作品をひとつご紹介しますと、ベルリン在住の日本人アーティスト・出月秀明さんが、《隠された図書館》を山の中に制作しました。神山にはそれまで図書館がなかったので、それならアーティストが作りますということになったのですが、借りるのではなく預ける図書館なのです。ここには人生で影響を受けた本を1人3冊まで寄付することができます。住民あるいは神山で働く人であれば寄付できます。寄付をすると鍵がもらえ、鍵を持つ人だけが利用できます。現在、少しずつ本が並び始めていますが、数十年後には神山の人たちの想いがつまった図書館が出来上がるでしょう。来年頃、フランスのある村に、同じコンセプトで図書館を作る予定があります。図書館が完成すれば、今度はフランスのその村と神山が図書館というつながりで結ばれることになる。そういうような柔らかいネットワークを作りあげることが、地域づくりや国際交流につながっていくと思います。
カリン・ヴァン・デ・モーレン(蘭)「Moon dome」2008
オスカー・ロヴェラス(仏) 「Water, Sky」1999
日本全国でアートによるまちづくりが行われていますが、ほとんどは観光客の誘致を目的としています。神山は資金もなく専門家も不在のままレジデンス事業を始めたので、自分たちだけでアートの力を高め、観光客を呼び込むのは難しい状況でした。そこでアーティストをターゲットにし、神山で滞在制作をすることの満足度を高めることに注力しました。レジデンスを7〜8年続けてきたところで、そろそろビジネス展開できないかと考えていたところで、情報発信のために西村佳哲さんとトム・ビンセントさんに協力頂き、「イン神山」というウェブサイトを立ち上げました。このサイトが公開されると、付加的な情報であった神山の古民家情報に最も注目が集まりました。神山に対する移住需要の顕在化が起こる。この仕組みを作ったとき、街の将来に必要とされそうな働き手や起業家をピンポイントで逆指名する「ワークインレジデンス」という仕組みを組み込んでいました。例えばこの家はパン屋さんをオープンする人だけに貸す、ここはウェブデザイナーだけに貸すというように、最初から貸す人の職種をこちらで限定します。それにより、街をデザインすることが可能になり、住民がこういう商店街をつくりたいという希望をほとんどコストをかけずに実現できます。
そして、「オフィス・イン神山」という空き家改修事業をはじめます。その頃ちょうどニューヨークから帰国していた坂東幸輔さんに手伝ってもらい、一軒目の空き家改修が終わった頃、Sansan株式会社の寺田社長が視察に訪れ、神山にサテライトオフィスを置くことになりました。こうした企業が増えてきたことで、新しい人の流れが生まれ、これまで街にはなかったお洒落なビストロやゲストハウスがオープンしました。
「神山ラボ」のオンライン営業部長
撮影:Sansan
スタートは文化芸術でしたが、その魅力で移住者がやって来て、ワークインレジデンスという手法ができました。若い移住者やサテライトオフィスが生まれることで、今まで成立し得なかったサービス業が起こる。サービス業で消費される農産物は地元産の有機野菜や、有機小麦です。もともと神山の農業を立て直したいと考えていましたが、全く関係のない文化芸術という入り口から入り、結果的に農業という本丸に近づいてきました。ワークインレジデンスの仕組みの中で、有機農業に携わる人をもっと誘致していったら、神山は四国随一の有機農業の拠点になるのではと考えています。大都市に頼らず地域内で有機農産物とサービス業を循環させ、神山の農産物を食べたいのであれば、都心から神山に来てもらえるようにしたいです。
日本の未来を考えると、リノベーションには多様な価値がある
坂東:私は最近自分の活動を「空き家再生まちづくり」と呼んでいて、空き家を活用するためにリノベーションしてまちづくりを行っています。私は神山町の隣の徳島市の出身で、東京藝術大学で学び、東京で働いてからハーバード大学に留学、その後藝大の助手をしながら独立をしました。現在は吉祥寺に事務所を構えて、月に1〜2回、徳島に行くという活動の仕方をしています。神山との出会いは2008年で、大南さんとお会いして1万円で古民家が借りられるので、ぜひ神山に移住し仕事がしたいとお話をしたのですが「お前はまだ外で頑張ってこい」と、空き家を貸して頂けなかったのです(笑)。でもその時のお付き合いが縁で、藝大で助手になった時に「ブルーベアオフィス神山」の改修のお話をいただき、そこから神山での活動がスタートしました。2012年には「神山バレーサテライトオフィスコンプレックス」、その後に株式会社プラットイーズの「えんがわオフィス」の設計などをしました。
(上)ブルーベアオフィス神山の外観
(下)ブルーベアオフィス神山の大学生と共に行った改修工事の様子
設計:坂東幸輔 須磨一清/バスアーキテクツ
(上)神山バレーサテライトオフィスコンプレックスの内観
(中左・中右)同コンプレックスの家具制作ワークショップの様子
(下)同コンプレックスの外観
設計:坂東幸輔 須磨一清 伊藤暁 柏原寛/バスアーキテクツ
撮影:樋泉聡子
えんがわオフィスの外観
設計:坂東幸輔 須磨一清 伊藤暁/バスアーキテクツ
撮影:伊藤暁
最近は徳島県海部郡牟岐町の出羽島のまちづくりも手がけています。人口70人の小さな島で、170戸中の1/3程にしか人が住んでいません。車が一台も無く、船で資材を運搬する費用がかかるため、明治大正期の建物がそのまま残っていて、古民家好きな自分としては宝島のような場所です。そうした伝統的な建築物を保存するため、外観を直す重要伝統的建造物保存地区の補助制度を活用していく予定となっています。しかし、建物を残すだけでなくソフト面も必要だと町役場から依頼されて、地域の学生と空き家活用のワークショップを実施しています。先ほどの大南さんのお話にも、先に第一次産業である農業を攻めずとあったように、我々としてはまず島の主要産業である漁業を先ずどうにかしようという考え方ではなく、他の方法もあるのではと、教育やアートの分野に期待を寄せています。
出羽島の航空写真
改修予定の空き家
これまで神山町でも数々のリノベーションを手がけてきました。建築家は作家として公共の美術館や音楽ホールを建てることが目標だという教育を受けてきていて、私自身もそのつもりで建築を学んできました。しかし、最近の傾向はそうではありません。空き家が増え続けている状況で闇雲に新築住宅をつくることは、空き家を増やしていることになります。神山で依頼を受けた最初の工事はセルフビルドで、工事をしていると通り掛かったおばあちゃんが「新しくなったね」と褒めてくれました。地域の人にとっては新しいことが価値であるということにかなり驚きました。新建材で作られた建物が一番新しいので素晴らしいという考え方なのです。でもそういった町の人の意識が、えんがわオフィスのリノベーションが竣工した時に変わったように思います。地域の人が価値を見い出していなかった古民家がかつての趣きを残したまま、みんなが集まれる場所に生まれ変わったことで、自分の住まいに対する印象が変わったのではないでしょうか。自分自身が地域で育んできた思い出や過去も素晴らしいものだと、リノベーションを通じて肯定できたのだと思います。僕自身はリノベーションだけにこだわっているわけではないですが、これからの日本にとって、空き家再生やリノベーションには大きな価値があると思います。
左から中島諒人氏、坂東幸輔氏、大南信也氏
(編集:友川綾子/トークショー撮影:相川健一)
大南 信也(おおみなみ しんや)
グリーンバレー理事長。1953年 徳島県神山町生まれ。米スタンフォード大大学院修了。90年代初頭から神山町国際交流協会を通じて「住民主導のまちづくり」を展開。98年米国生まれの道路清掃プログラム「アドプト・ア・ハイウェイ」を全国に先駆けて実施。04年NPO法人グリーンバレー設立、理事長就任。「神山アーティスト・イン・レジデンス」や「神山塾」開設による人材育成、IT企業のサテライトオフィス誘致を推進。的確な目標に向かって過疎化を進め、人口構成の健全化を目指す「創造的過疎」を持論に活動中。有限会社 大南組、大南コンクリート工業 株式会社 社長。内閣官房のふるさとづくり有識者会議委員。
中島 諒人(なかしま まこと)
鳥の劇場芸術監督。1966年 鳥取県鳥取市生まれ。東京大学法学部卒業。大学在学中よ
り演劇活動を開始、卒業後東京を拠点に劇団を主宰。2003年利賀演出家コンクールで最優
秀演出家賞受賞。2004年から1年半、静岡県舞台芸術センターに所属。2006年より鳥取に
劇団の拠点を移し、"鳥の劇場"をスタート。二千年以上の歴史を持つ文化装置=演劇の本
来の力を通じて、一般社会の中に演劇の居場所を作り、その素晴らしさ・必要性が広く認
識されることを目指している。
坂東 幸輔(ばんどう こうすけ)
坂東幸輔建築設計事務所主宰/バスアーキテクツ主宰。1979年 徳島県徳島市生まれ。2002年 東京藝術大学美術学部建築学科卒業。2008年 ハーバード大学大学院デザインスクール修了。スキーマ建築計画、ティーハウス建築設計事務所、東京藝術大学美術学部建築科教育研究助手、aat+ヨコミゾマコト建築設計事務所を経て、2010年坂東幸輔設計事務所設立。