青木 裕子(朗読家・軽井沢朗読館館長、元NHKアナウンサー)
国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、2013年12月、ソウル日本文化センターで文化日本語講座「ことばの力―朗読の世界」を開催しました。
講座では、小説や詩などの日本語の文章が「朗読」を通して音として伝えられていく過程を味わってもらうとともに、上級の日本語学習者が、日本語の発音、アクセント、イントネーションについて体験的に学べるワークショップも開催しました。反響はどうだったのか、講師を務めた朗読家の青木裕子さんにレポートいただきました。
「近くて遠い国」という言い方があるけれど、まさに私にとって韓国は遠い国。テレビや新聞、本などから得る知識が私の韓国のすべてで、一度も行ったことがないのだから、流れる水や空気、光のきらめきといった、生きる実感に必要な感覚的なものについては想像すれども何も湧かない。
そんな折、NHKの先輩、山田誠浩元エグゼクティブ・アナウンサーに国際交流基金の取り組みの一環として、日本語の朗読の講師役で韓国に行かないかと持ちだされた時、改めて韓国について無知な自分に愕然とした。
何かに出あえるに違いない
今回、「日本語の講師として」とは言っても、教えるというよりむしろ日本語の朗読を披露して、韓国の人に日本語の響きの美しさ、豊さを味わってもらおうという初の試みなのだ。だから私のような日本語や日本文学の研究者でもない朗読家に声がかかったのだが、もちろん、それだけでは心もとないので朗読会と並行して日本語の上級者向けのワークショップも開こうという二本立ての試みとなった。ワークショップはともかく日本語の朗読会なんて成立するのかどうか。受講生にはどの程度内容を理解して聞いてもらえるのか、楽しんでもらえるのか、どんなことが起こるのか予測すらできない。でも、手掛かりがないからこそ面白いかもしれないと冒険心がむくむくと湧きあがって「山田さん、お引き受けします。受け入れられるかどうか分かりませんが、初めての試みだからこそ、先入観を捨ててやってみたいです」と答えていた。
その時私の頭の中にポッと光のように浮かんだのは数年前に見た「ポエトリー」という韓国映画だった。アルツハイマーに侵されはじめた初老の韓国女性が、詩のカルチャー教室に通う。言葉を少しずつ失っていく中で懸命に詩を紡ぎ出そうと努力する。映画の背景はあくまで平凡な日常の暮らしだ。哀しみと切なさに胸がいっぱいになる一方で、静かな美しさが初老の女性を浮かび上がらせ、愛おしい。韓国の人たちは平凡な日常に詩の世界を添わせることで、心の世界をこんなに繊細で豊かなものにしているのだと感動した。その「詩の国」へ行くのだもの、きっと何かに出あえるに違いない。そうだ、そう考えようと2013年12月2日夜韓国へ飛んだ。
受講生の熱気に包まれて
ソウルに着いて次の日、午後3時には日本文化センターに入り、打ち合わせと台本の準備を急いですませ、4時半から6時が山田誠浩さん中心のワークショップ。私は横に控えてときどき口をはさむ。50人ほどの人で部屋は満席だ。募集後すぐにいっぱいになり、反応が実にいいと担当の武田康孝さんが嬉しそうだ。ワークショップなので参加者一人ひとりに声を出してもらい、発音やアクセントのトラブルの原因を一緒に探り解決していく。驚いたのは、皆さん、とても日本語が上手。日本で言うと地方の田舎で方言まじりで話をするのと変わらないくらいの感覚で、どの生徒さんともすらすら会話ができるのだから驚いてしまった。
それに若い人が多いのも驚きだった。受講生は20代30代から50代ぐらいが中心で、想像していた高齢者層はほとんどいない。
ワークショップが終わってからしばらく誰も帰ろうとはしなかった。囲まれて質問攻めにあう。積極的で知識欲が旺盛で矢継ぎ早に質問が来る。韓国語には濁音で始まる発音がないのでどうしても「ぼく」と言えないで「ぽく」となってしまうが、どうすれば直せるかという質問に私も山田さんも汗だくになって答える。受講生たちからもあれこれ意見が出て、一緒になって懸命に考える。熱気がいつまでも去らない。多少発音が違っても立派に通じるのだからそれで良いのではと言っても駄目で、完璧に発音したいと言う。
ソウルでのワークショップ
日本語が上手で、終わってからも質問攻めに!
交流を重ねることで友情を育む
同じ場所で夜7時から9時が朗読会。入れ替え制で、こちらも超満員だ。入れなかった人もいるという。初日の演目は私は内田麟太郎作『泣きすぎてはいけない』と宮沢賢治作『注文の多い料理店』。山田さんは谷川俊太郎作『ことばあそびうた』、伊集院静作『クレープ』など。皆さん熱心に聞いて下さる。おかしい時は遠慮なく笑うところは日本人と違う。自己規制しないところが気持ちがいい。終わってからやはり質問が続いた。
朗読という文化は韓国にはないそうだ。「いったい、何をするのだろうと思いながらやってきました。とても聞き入りました。家でもやってみよう」と言ってくれた人もいる。若いお嬢さんが私に抱きつかんばかりにして「『泣きすぎてはいけない』を聞いていて涙が出ました。心から泣きました。友達にこの本を知らせます」と言う。そんな時、ここが韓国だということを忘れてしまう。
ソウルでの朗読会
笑ったり泣いたりしながら聞き入る受講生たち
たしかに、一時期より日本語を学ぶ人は減ったそうだ。語学を生活の手段として学ぶ国なので、今は中国語を選択する学生が多いそうだ。
しかし、韓国語と日本語は構造が近くて覚えやすい。一度日本語に接すると、外国語科目として一旦は中国語を選択しても、日本語の熟達速度の楽しさを覚えていて日本語に戻る学生も多いと聞いた。初日を終え、ソウルで2回、プサンの国立釜慶(プギョン)大学でも一回行って帰国の途に就いた。学生さん、市民の方たちから「面白かった」「また来て下さい」と口々に言われ、人と人はこうした交流を重ねることで、「あなたと私」という友情を育むことができるのだという当たり前の思いをかみしめる。この6日間の旅行で、韓国はすっかり私の中で「近くて近い国」に変身してしまった。韓国の方たちの笑顔が目に焼き付いて離れない。
釜山の国立釜慶(プギョン)大学にて
青木 裕子
朗読家・軽井沢朗読館館長、元NHKアナウンサー
1973年、大学卒業後日本放送協会(NHK)に入局、以降37年間一貫してアナウンサーを務める。テレビ番組のキャスター、リポーターを務める傍ら、主に社会福祉関連の番組で取材・制作を継続的に行う。また、ライフワークとして朗読を行い、番組の制作を担当する。
2010年の退職後は、長野県軽井沢に「軽井沢朗読館」を私費で建設し、同館の館長として朗読や音声表現の楽しさを広め伝える活動をおこなっている。また全国各地で朗読会を開催。2013年1月、軽井沢町立図書館館長に就任。
現在FM軽井沢で、朗読番組『軽井沢 朗読散歩』を放送中(毎週月~金曜日朝7:30~7:45、土曜日夜9:00~10:00(月~金曜日5回分を放送))。
(ネットで聴取可能:http://fm-karuizawa.co.jp/introduction.html)