渡辺靖(慶應義塾大学教授)
この3月、国際交流基金が主催するベトナム日本研究巡回セミナーに、添谷芳秀教授(慶應義塾大学)とともに参加した。テーマは「日本の国際関係~日本・中国・米国関係と東南アジア~」。私は"Soft Power and Japan's International Cultural Engagements(ソフトパワーと日本の国際的な文化的関与)"という演題で、主に各国のパブリック・ディプロマシーの動向を手掛かりに、日本の取り組みや課題について紹介した。
添谷教授の講演が、注目を浴びる、昨今の日中対立を軸に据えていらしたこともあり、ハノイ人文社会科学大学(3月19日)では470名余(当初想定されていたのは200名)、また、ホーチミン市人文社会科学大学(3月22日)では380名超と、大勢の来場者を得る講演会となった。
いずれでも、会場の聴衆からの質問もとても活発で、とくにハノイ人文社会科学大学では30人以上の手が挙がり、予定の終了時間を1時間近く延長しても時間がまったく足りないほどだった。
(左)添谷芳秀教授(右)筆者
ハノイ人文社会科学大学での講演
ホーチミン市人文社会科学大学での講演
アメリカ研究者にとっての「ベトナム」
添谷教授が、1989年以来、10回近くベトナムを訪問されているのに比べ、私自身は初のベトナム訪問。まずは日本への関心の高さと聴衆の熱心さに驚かされた。地域的にはアメリカ合衆国を専門とする私にとって、今回のベトナム訪問は他にもさまざまな点で新鮮だった。
まず、ベトナムでは、大学の「外」で講演する場合、事前に講演原稿を提出して、政府当局から許諾を得る必要がある点は、たとえ今回のように大学の「内」で講演する場合であっても、一定の留意を意識させるものだった。しかし、少なくとも今回のセミナーに関する限り、会場の聴衆との質疑応答も含め、予想以上に忌憚のない意見が交わされたのも事実である。もちろん会場には公安の職員も来ており、当局を直接的に批判する言説は御法度だったのだろうと思うが。
次に、私自身を含め、多くの日本のアメリカ研究者にとって「ベトナム」と聞いてすぐに想起するのは「ベトナム戦争」である。そして、それはアメリカの無鉄砲な軍事介入の象徴でもあることから、ベトナムで出会う方々がアメリカをどう捉えているか興味津々だった。もう少し率直にいえば、アメリカ批判に頻繁に出くわすことを予期していた。
しかし、それはまったく的外れだった。確かに一部には反米的言説も存在しないわけではないが、むしろ総じて「かなり親米的」という印象さえ受けた。ベトナム戦争の位置づけさえ、日本で想像していたより遥かに軽いように思えた。
それゆえ、初日のハノイ人文社会科学大学での講演では、ベトナム戦争当時のアメリカのパブリック・ディプロマシー(というより実際はプロパガンダだが)について言及してみたものの、フロアが「きょとん」とした反応だったので、ホーチミン市人文社会科学大学での講演では割愛することにした。何しろ講演前の大教室に大音量で流れていたのはイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」だったのだから!
ベトナムの鋭敏なバランス感覚
日本への関心の高さと親米的な雰囲気。もちろんそこには経済的なつながりや消費文化の隆盛が大きく関係しているが、やはり過去千年以上にわたり国の根幹を揺さぶってきた中国への警戒心が大きい。中国の言語文化教育機関「孔子学院」もベトナムでは現時点では開設されていない。尖閣問題に関して我々が論じた姿に、同じく中国との領土対立を抱える自国の現状を重ね合わせた聴衆が多かったように思う。
その一方で、今回、ハノイとホーチミンの二つの人文社会科学大学の関係者以外にも、講演の日程の合間を縫って、実にさまざまな実務家や研究者の方々に会い、意見交換を行なったが、そのなかで痛感したのは、これまで中国やフランス、ロシア、アメリカなど大国の影響を強く受けた国としての鋭敏なバランス感覚である。
「ベトナムが原子力発電所建設の第一号を日本ではなくロシアに発注した背景には中国への配慮がある」「キューバのカストロが、米国大統領のニクソンの死去についてコメントした映像の放映をベトナム政府が禁じたのはアメリカへの配慮があった」等々、外交的なしたたかさを感じさせるエピソードを幾つも耳にした。
つまり言い方を変えると、確かに中国への警戒心が根底にあり、日本への関心や期待も強いが、日本に一方的に肩入れするわけにも(ましてやそれを公然と表明するわけには)いかないということだ。こうしたベトナムの置かれた文脈を理解したうえで、日本はパブリック・ディプロマシーを含め、ベトナムとの関係を深化してゆく必要がある。
この点と関連して、もう一つ実感したのは、ハノイ(北)とホーチミン(南)の歴史的・感情的・文化的な距離感である。一週間に満たない短い滞在でも両者の差はさまざまな局面で感じるとることができた。
国際交流基金は、現在、ハノイにベトナムでの拠点としてベトナム日本文化交流センターを有しているが、ホーチミンには拠点はない。ホーチミンには、国際協力機構が運営する日本人材協力センター(通称:日本センター)があり、市場経済化のためのビジネス人材育成や日本語教育が実施されているが、今回ホーチミンでお会いした学生や若手研究者からは、ホーチミンにも総合的な日本文化センターを新たに開設して欲しいという声を数多く耳にした。財政的に厳しい昨今だが、こうした近未来への投資は怠るべきではないし、何よりもポテンシャルに満ちた時流を逃すのはあまりに惜しい。今年は日越国交樹立40周年にあたるが、是非、そのための検討を始めていただきたいと思う。
最後に、今回の訪問をアレンジしていただいた国際交流基金の関係者には感謝を申し上げたい。私は以前『文化と外交』(中公新書)という拙書を著したが、パブリック・ディプロマシーの最前線で活躍されていらっしゃるスタッフたちの苦労や努力、創意工夫に接するたびに、自分の記述の稚拙さを大いに恥じてしまう。そして、今回のベトナム訪問は、まさに拙著を全面的に改訂したくなるような刺激と発見に満ちたものだった。
と同時に、アメリカ研究者の学徒としては、日米関係やアメリカをよりよく理解するためにも、もっとアジアを見て回らねばならないと再認識できた一週間だった。
渡辺 靖(わたなべ やすし)
1997年ハーバード大学で博士号を取得(社会人類学)。オックスフォード大学、ケンブリッジ大学の客員研究員などを経て、現在、慶應義塾大学SFC教授。専門はアメリカ研究、文化政策論。
2003-2004年に国際交流基金安倍フェローとしてハーバード大学ウェザーヘッド国際問題研究所に所属。2005年に日本学士院学術奨励賞受賞。2007年にケンブリッジ大学ダウニングカレッジフェロー。アメリカ学会理事、外務省「広報文化外交の制度的あり方に関する有識者懇談会」委員、「外交」編集委員、朝日新聞書評委員などを務める。
単著に、『アフター・アメリカ-ボストニアンの軌跡と〈文化の政治学〉』(2004。サントリー学芸賞、アメリカ学会清水博賞)、『文化と外交:パブリック・ディプロマシーの時代』(2011)など。編著にSoft Power Superpowers: Cultural and National Assets of Japan and the United States (2008)など。
編集部より
4月下旬には、渡辺靖先生と一緒にベトナムで講演を行った添谷芳秀先生のエッセイ「消えたアジア外交?-ベトナムで考えた日本外交の盲点」をお届けします。お楽しみに!