匂い, 手垢, カースト, スープ  八幡亜樹

作家 八幡亜樹



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"八幡さん作品の一場面、スチル画像"
八幡亜樹 Tota


 インドの一月は、滞在した3週間の間に驚く程季節の変化があり、最初の一週間は朝晩の冷え込みと濃霧が体に染み込む冬の一週間だった。撮影の週が終わりホテルに引きこもって編集作業を始めると、分厚いガラス窓の向こうでは雨が降ったり止んだりを繰り返して、気がつくと帰る頃にはポカポカ陽気の春になっていた。
 インドに行く前に洗った真っ黄色のノースフェイスのジャケットは、一週間の撮影の間で驚く程黒くすすけて、日本では嗅いだ事のない匂いが染み付いていた。エベレストで10日間のトレッキングをしたときですらこんなに汚れなかった気がする。やはり町中の排気ガスのせいなのだろうか。ジャケットの匂いで間接的にインドを嗅ぎ取りながら、「インドの匂い」というものがある事を確認した。薬品の様な無機的な匂いの後から、食品スパイスが複雑に混ざったような香りが鼻の奥に残る。私の体臭ではない。そういえばインドで過ごしていると、常にインドカレーを食べているような満腹感があった。多分ジャケットにこびりついていたような「色んなインド」が、毛穴から体内に入り込んで来るに違いない。
 車の移動では、必ず物乞いの方達が車の窓にぴったりと迫ってきた。中でも印象的だったのは、ある少女が手袋をはめて車の窓を拭き、運転席のきれいな身なりの若い女性に、気怠げな眼で、でも深く甘えるように、お金を下さいと手を揺らしていた。若い女性は一切相手にせず、少女は諦めて去っていくのだが、そのすぐあとに小さな赤ん坊を抱えた母親がやって来て、さっき少女が拭いた窓に掌をべったり付け、お金を求め始めた。窓につく物乞いの手垢は、また別の物乞いによって拭い去られ、そしてまた新しい手垢がつく。今までも明日からも続くだろう車窓のルーティーンを見、その一幕がやけに心に残った。
撮影を通して印象に残った事は、インドで制作するまでは全く意識しなかったカーストだ。人物イメージを設定しようにも、私のイメージはどうしてもカーストの間を横断してしまう。ソムラジさんに箒を持ってもらおうと思ったら、行商人が掃除をすることはあり得ないからおかしい、と言われた。リュックサックを背負ってもらおうとしたら、行商人でリュックを背負う人はいないという。日本でだって、驚くことは普段から沢山起こっているのだから、それ位はあり得るだろうと思った。しかし、カーストというのはあり得るかあり得ないか、の問題ではなく、不浄とみなされたり、なぜ自分から自分を貶める事をするのか、という見方で語られる。現地の人が見ても上品である作品を作るために、自分のもつイメージと、現地の人の血液中に、遺伝子レベルで流れる上品さの基準値を、照合して弾き出さねばと、撮影中は必死であった。

 そういえば、インドでの最後の食事で食したスープは、今まで経験がないほど奇妙な味だったなぁ。オートリクシャのおじちゃんに「美味しくて安いローカルフード店に連れて行って!」とおねだりすると、胸を張って連れて行かれた先は機械のパーツ廃棄場の中にガタガタの椅子とテーブルが置かれているようなお店。滞在中も何度かローカルレストランには行ったが、なんだか別格にローカルな感じだ。1プレート30ルピー(日本円で50円位)という格安のプレートをおじちゃんにお勧めされる。このサイドメニューで出て来た、薄ピンク色に白濁した液体にパクチーのようなものが入った冷たいスープが強烈な味だった。アンモニア臭みたいなものが、ツーンと脳みその後ろの方まで走った。あまりの奇抜な味に幻かと思ったので、そのあと2、3口飲んだ。お腹は壊さなかった。

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"八幡さんがカメラで収めたインドの風景"
Photo: 八幡亜樹


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"八幡さんとSomrajさん(出演者)・関係者、キュレーター等の記念写真"
Photo:山城大督



「Omnilogue」(オムニログ)は、2011年から2012年にかけてオーストラリアのパース、インドのニューデリー、そしてシンガポール(予定)で開催される三つの現代日本アーティストのグループ展。インドのニューデリーで開催された「Omnilogue:Journey to the West」展の出展作家、八幡亜樹さんのレポート。


india_nioi05.jpg 八幡亜樹 1985生まれ 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程。今回は、聾の日本人舞踏家とインドの盲目の蝋燭職人と共に映像制作を行った。
2012年ニューデリー「Omnilogue: Journey to the West展」出展作家
https://www.jpf.go.jp/j/project/culture/archive/information/1112/12-02.html






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